簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

和歌山国体(四国遍路の旅・高野山編)

2015-12-18 | Weblog
 外八葉であろうか、行く手を塞ぐように立ちはだかる山並みが随分と近
づいていた。「あの辺りが高野山・・・」と、泊まった「ゆの里・お水の宿 こ
のの」で教えられた山頂付近に目を凝らせば、気のせいか何やら建造物
らしき姿が望まれた。





 「ようやくここまで来たのか・・・」と、深い感慨を持ちながら前回は、ここか
ら帰途についたものだった。



 あれから五か月、あの山はどれだったのかと、取り巻く山々を望みながら、
前回歩き旅を終えた橋本の町に、9月も下旬の或日午後二時過ぎに戻って
きた。高野山に向けた最後の歩きの始まりである。



 ここから先、学文路までは緩やかに上る5キロ余りの道程で、そこから不
動坂道を行くなら山上の「女人堂」までがおよそ15キロ、町石道を登るなら
九度山を経て「大門」まで23キロほどの、いずれも上り下りを繰り返す登山
道である。



 何れを行くにせよ、この時間から一気に山上に行けるだけの健脚は持ち
合わせていず、当初の計画では九度山まで行きそこで一泊、早朝からゆっ
くり時間をかけ「不動坂道」か「町石道」を登り宿坊で一泊、翌日「奥の院」を
巡り、違うルートを下る考えで宿探しを始めたがこれが殊の外難航した。



 九度山周辺から範囲を広め、南海の沿線を調べてみるのだが、9月の下
旬頃から10月にかけては、ことごとく予約カレンダーに「×」印がつけられて
いる。これは既に満室か予約を受けてはいないという事で、電話で問い合
わせても「満室です」と言うばかりである。

 「1200年祭」で込み合うとは思っていたが、丁度この期間が「和歌山国体」
と重なっていることを知らなかったのだ。(続)

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