簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

鎌研一里塚 (東海道歩き旅・尾張の国)

2022-06-22 | Weblog
 池鯉鮒と東海道40番目の宿場・鳴海の宿間は二里半十二町(11.1㎞)
だが、間の宿の有松まで来れば残りは一里弱(およそ3㎞)と近くなる。
元々が山間の僻地で、藩の振興策により開かれた町並の賑わいは、絞り
を商う十余軒が中心で、土産を買い求める客も多かったと言う。



 箱根東坂の中頃にある畑宿も間の宿とされた町で、ここには名産の寄
せ木細工がある。
行き交う旅人に土産を売る状況は、有松の絞り染めと同様である。
しかし畑宿にはもう一つの顔があり、江戸を控えて不審者が入り込まな
いように、監視の役割が課されていたらしい。



 徳川御三家の尾張名古屋の城下町も近い有松の役割はどうだったのか。
尾張藩との繋がりの強い土地柄だけに、もしやと思ってみたりもする。
興味深いところだが、そこの所は良く分からない。



 町を抜け暫くすると名古屋高速第二環状道路の高架を潜る。
その下で、名鉄名古屋本線の線路を越えると鎌研である。
曰く有りげな地名に興味が湧くが、知りたくても近くには何の説明表示
も無いのが残念だ。手越川に架かる鎌研橋を渡る。
丁度この辺りが、間の宿・有松の西の入口に当たる場所である。



 嘗てはここに江戸から数えて82番目の「鎌研一里塚」があったとされ
ているが、大正時代に払い下げられ民有地となり消滅したという。
近年「有松一里塚」として復元されたらしいが見落としてしまった。



 鎌研橋辺りと目星を付けていたが、どうやら高架の手前に真新しい小
さな塚が旧道を挟んで二基築かれ、若木が植えられていたようだ。
足も痛く、先を急ぐ余り、全く気付かず通り過ぎてしまった。(続)



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