![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/01/a121d716e276c0de4eeb3eea271cfd8f.jpg)
東海道は新しく出来た水口の城下を避け、お城の北側を、右折、左折、
左折、右折、左折、右折と鍵の手に目まぐるしく曲がる道に入る。
三河国の岡崎城下ほどではないが、結構な数の曲がり角である。
これらの町並に三筋町の様な賑わいは見られないが、その道幅は往時の
ままのようで、武家地に近い地らしく、家並みにも何とはない落ち着き
と懐かしさが感じられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/e4/65ffc9ef6a13a709ed126d9806f5d1d2.jpg)
小坂町の曲がり角に、江戸時代から知られた大石が置かれている。
力石とも水口石とも呼ばれる由緒ある石らしいが、謂れを知らなければ
ただの石にしか見えない。説明によると、江戸の絵師・国芳により錦絵
の題材にも取り上げられたらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/f7/e4ace6596c5aff8f045473c57e50698b.jpg)
その先、北邸町には、下級武士達が住んだ百軒長屋跡が有った。
お城の武家地にあり、百軒(約180m)の棟割長屋には、下級武士達が
住んでいたという。
棟割長屋と言うのは、複数の住戸が水平方向に連なり、壁を共有する
物件で、それぞれの住戸は独立している物を言う。
共同住宅の様に、共用部分が無いのが長屋の特長である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/10/03a4914cd902b8d304134ee5f96166f7.jpg)
城の防御の役割を担う建物とされ、その為東海道に面した北側には、
出入り口は無く、往来に向かっては、与力窓と呼ばれる小さな高窓が
設けられているだけである。
街道を往来する物売りとは、紐を付けた笊により、この窓越しに買い
物をしていたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/9b/5d2114fb22e2937594ba6b26073881a5.jpg)
こう言ったシーンは、様々な時代小説でも描かれ、よく登場する。
下級武士であっても武士は武士、身分制度の厳しい時代にあって、世間
との気脈を通じる、文字通りの窓口であったようだ。
明治初期まで21軒が残されていたたらしいが、全て取り壊されている。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/58/d718ae57ed6e5cdee1fe22c5aeedd13d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
![にほんブログ村 旅行ブログへ](http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます