岡山自動車道と絡むように進む桃太郎線の左手に、瀟洒な建物群が見えて来る。
岡山県立大学のキャンバスで、その校地が過ぎたあたり、周りに住宅が建て込んで
くると列車は服部駅に到着する。周囲には田畑が広がり、そんな中に所々住宅が身
を寄せあっている長閑なところである。
ここから遠方に目をやれば、岡山県中部を構成する吉備高原が、緑の塊となって
せり出しているのが望まれる。今日総社平野と呼ばれるこの地域は太古の昔、この
吉備高原のすぐ南まで瀬戸内海が入り込み、「吉備の穴海」と呼ばれる多数の島々
が点在する風景が広がっていたと言われているので、この辺りにも海岸線が入り込
んでいたのであろうか。
当時この吉備の地には、役所や寺院などが造営され賑わっていた。
また、古代の山陽道が東西に走り、吉備の津(港)から瀬戸内海への陸・海交通の
要衝でもあり、政治・経済の要地であった。吉備高原は、そんな地を眼下に見下ろ
すところに位置している。
その後海岸線は次第に南に後退し、総社平野から岡山平野にかけての原型が
縄文時代には形成されたと言われているが、それでも海岸線は今よりかなり内陸
部に入り込んでいたらしい。(現在の岡山平野が出来たのは、江戸時代以降の大
規模な干拓に負うところが大きい)
そんな吉備高原の頂上付近に目を凝らすと、緑の山塊を欠き崩したように土色
をさらけ出す山肌が認められる。
岡山県下に2か所あるとされる古代山城の一つ、「鬼ノ城」である。(続)
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