簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

大沙川の隧道(東海道歩き旅・近江の国)

2024-02-21 | Weblog


 「きずな街道休憩所」で暫し身体を休め、猿飛佐助の実在説を知り何
とはなく納得し、再び街道に戻る。
 とすぐ目の前に、立派で頑丈そうなトンネルが現われた。
地元では、「吉永のマンポ」と呼び親しまれている、「大沙(おおすな)
川の隧道」である。



 長さ16.4mしかないトンネルの先は明るく出口が開け、向こう側を見通
す事が出来る。入口は高さ4.6m、幅4.4m、意匠を凝らした半円のアーチ
型で、内部の壁は花崗岩の切石積みで造られている。



 この短いトンネル上には、大沙川が流れているが、所謂天井川である。
説明によると、「奈良時代に石山寺や奈良の仏教寺院の造営が頻りに行
なわれると、この辺りの木々が手当たり次第に切り倒されて禿げ山に成
ってしまい、大雨の度に土砂が流れ、川底が上がり天井川になった」。



 「その後東海道が通じたが筋と交差しているため、人々は、川に出会
うと土手を登り、小橋か浅瀬を渡って川越えをした。
 明治になって東海道整備の一環で、川の下にトンネルを掘って人馬通
行の便宜をはかることになった」という。
 このトンネルが県下では最初に掘られたもので、明治17(1884)年3
月の事だそうだ。この先にも由良谷川、家棟川等の天井川が控えている。



 トンネルを抜けると左側に、「弘法大師錫杖跡 お手植えの杉」の石
柱と、「三雲城址ハイキングコース」の案内板が立っている。
城跡の入口までは、1.5㎞、徒歩で35分と書かれている。

 トンネルの上に出る小道が有り、登ってみると、川に水の流れは無く、
両岸は雑草に覆われていた。
そこには、弘法大師伝説の樹齢750年の「弘法杉」が聳えている。(続)





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