簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

原尾島の世界初 (西大寺鉄道廃線跡を歩く)

2021-09-15 | Weblog


 廃線跡と交差する原尾島3丁目の交差点から、県道402号線を西方に
400m程行くと、国道250号線原尾島の変則的な交差点に出る。
実は、この交差点は、「日本初・世界初」のある物が実用化された記念
すべき場所でもある。それは、今では町中の道路や駅のホーム、建物の
床面等で当たり前のように目にするものだ。



 時は1960年台の半ば頃、岡山市のある実業家がある日とある交差点で、
白い杖を持った目の不自由な人が道路を横断しようとする姿に遭遇した。

 通りには車が激しく行き交い、中々渡れない様子を見て以来、視覚障
害者が安全に、単独歩行が可能な世の中の実現が何とか出来ないものか、
と考えるようになったのだそうだ。



 それから2年の歳月と多額の私財を投入し、苦心の末考案したものが、
日本でも世界でも初めてこの交差点に敷設された。
しかし、当初は理解が乏しく、普及は遅々として進まなかったと言うが、
次第にその有効性が認められ徐々に広がり、今や全国に、更に世界中に
普及して行った。



 それは「コンクリート製・点字ブロック」である。
近くの盲学校生の協力を得て、昭和42(1967)年3月18日に、この交差
点に、日本でも世界でも初めての点字ブロックが230枚敷設された。



 当時のものは、四角いブロックの表面に、半円の突起物を1列に7個
7列並べたものだ。
そう言えばこの形の物を、嘗て町中で見たような気がする。

 今日では改良が進み若干形が違うが、兎にも角にも世界初がこの場所
で実用化された。
百間川橋西詰めの原尾島交差点付近には、当時のブロックを埋め込んだ
モニュメントが立てられている。(続)



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