道が二つに分かれる場所を「追分け」と言うが、今日まで地名としても
全国に何カ所も「○○追分」が残されている。
ここ「日永の追分け」は、東海道と伊勢街道の分かれ道である。
今でも交通の要衝で、小さな三角緑地の直ぐ脇を、乗用車や大型のトラ
ックなどが頻繁に駆け抜けている。
追分には、台座も入れれば二メートル以上は有ろうかという石の道標
が建てられている。「右京大坂道 左いせ参宮道」「すく江戸道」「嘉
永二年己酉春二月 桑名魚町尾張文助建之」と肉太の字が刻まれている。
その隣に建つ古めかしい常夜灯にも、正面には「ひたり さんくう道」と
刻まれている。
鳥居は「神宮遙拝鳥居」で、伊勢国二ノ鳥居と言われている。
現在の鳥居は、昭和50(1975)年に建てられたものだ。
この地に初めて遙拝鳥居が建てられたのは、安永3(1774)年の事で、
江戸に進出し商家を構えた伊勢商人・渡辺六兵衛と伝えられている。
六兵衛は、須ヶ瀬村(現在の津市)の出身で、東海道を行き来する旅
人が、この地で伊勢神宮を遙拝できないのは余りにも寂しいと、鳥居を
建てさせたそうだ。
神水の湧くこの地は、四日市と石薬師との中間の「間の宿」でも有る。
茶店が建ち並び、旅人で大いに賑わったという。
名物の饅頭を手に茶を啜りながら、京・大坂や伊勢に思いを馳せた会話が
飛び交っていたのであろう。
追分けを出ると、伊勢神宮のある山田までは、この先神戸(かんべ)、
白子(しろこ)、上野、津を経てその距離およそ16里である。
お伊勢参りの弥次さん喜多さんは、左の伊勢参宮道へ進んだ。
東海道は右の道を行くが、次の宿場・石薬師までは、まだ1里半以上も
残っている。(東海道歩き旅・伊勢の国・前編完)
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