一里塚の先に、一本の大きなマツが見えてきた。
「東海道名残の一本松」である。
かつてはこの日永村から泊村の間は、家屋が一軒も無い道で、街道の
両側には低い土手が築かれ、マツが植えられた並木に成っていて縄手と
呼ばれていた。
当時の東海道の幅は三間(凡そ5.5m)、今の道路幅と同じという。
この縄手と呼ばれる土手を入れると約5間(9m程)あり、ほぼ今の道幅
と一致するそうだ。今日まで唯一残ったのがこの松一本である。
あすなろう鉄道泊駅前を過ぎると、「伊勢蔵」という店があった。
創業は大正3(1914)年で、これまで五代に渡り、伝統の製法を守りな
がら味噌・醤油を作り続け、販売しているという。
店舗前の駐車場に仕込樽を展示する東屋が造られていて、近くに程よい
日陰があったので、そこで少し休ませてもらう。
その先に、「東海道日永郷土資料館」の建物が左手に見えてきた。
商家・八木家の土蔵付の古民家を資料館として改修し、平成25(2013)
年にオープンし、「日永郷土史研究会」が運営している施設だ。
内部では特産の「日永足袋」や「日永うちわ」を始め、東海道や伊勢
街道の歴史などの資料を展示しているらしい。
生憎この日は休館日(開館は、水・土・日・祝)であった。
資料館の前を抜けると旧東海道は、左から来る国道1号線に合流する。
そのまま道なりに側道を100m程行くと、大きな三叉路で、その交点に小
さな緑地が有る。
この辺りから旧追分村で、名前の通りここは「日永の追分」と言われる
場所で、東海道と伊勢参宮道との分れ道だ。(続)
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「東海道名残の一本松」である。
かつてはこの日永村から泊村の間は、家屋が一軒も無い道で、街道の
両側には低い土手が築かれ、マツが植えられた並木に成っていて縄手と
呼ばれていた。
当時の東海道の幅は三間(凡そ5.5m)、今の道路幅と同じという。
この縄手と呼ばれる土手を入れると約5間(9m程)あり、ほぼ今の道幅
と一致するそうだ。今日まで唯一残ったのがこの松一本である。
あすなろう鉄道泊駅前を過ぎると、「伊勢蔵」という店があった。
創業は大正3(1914)年で、これまで五代に渡り、伝統の製法を守りな
がら味噌・醤油を作り続け、販売しているという。
店舗前の駐車場に仕込樽を展示する東屋が造られていて、近くに程よい
日陰があったので、そこで少し休ませてもらう。
その先に、「東海道日永郷土資料館」の建物が左手に見えてきた。
商家・八木家の土蔵付の古民家を資料館として改修し、平成25(2013)
年にオープンし、「日永郷土史研究会」が運営している施設だ。
内部では特産の「日永足袋」や「日永うちわ」を始め、東海道や伊勢
街道の歴史などの資料を展示しているらしい。
生憎この日は休館日(開館は、水・土・日・祝)であった。
資料館の前を抜けると旧東海道は、左から来る国道1号線に合流する。
そのまま道なりに側道を100m程行くと、大きな三叉路で、その交点に小
さな緑地が有る。
この辺りから旧追分村で、名前の通りここは「日永の追分」と言われる
場所で、東海道と伊勢参宮道との分れ道だ。(続)
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