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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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見たまま、聞いたまま、
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戦国武将所縁の地(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-15 | Weblog


 備前福岡では、14世紀の初めに頓宮四郎左衛門により福岡城が築かれ
たと言うが、大永年間に起きた吉井川の大洪水により壊滅的な被害を受
け廃城になったと伝えられている。
今その跡地、吉井川河川敷のゴルフ場に隣接する「福岡城跡の丘」に、
僅かにその記憶を留めるのみで、その詳細は余り知られていない。



 近くには江戸・安政年間に起きた、「渋染一揆結集の地」の碑も有る。
被差別の住民に対し、「着物は渋染め・藍染めとする事」と定めた
藩に対し、その令の撤回を求めた一揆で、虫明の陣屋での交渉を目指す
数千人の男達がこの地に集結したという。



 この備前福岡は、戦国武将・黒田官兵衛とかかわりが深い町でもある。
当時は山陽道でも随一の繁栄を誇っていた福岡の地に、官兵衛の曽祖父・
高政らが近江から移住したが、この地では不遇の時代が続き、こんな中で
官兵衛の父・職隆が生まれた。



 その後黒田家は関ヶ原の合戦で徳川軍に味方して勝利し、筑前52万石
に封じられ、そこに城を築き「福岡城」と命名した。
それは祖父の生活した地を偲んで名付けたと言われ、現在の福岡県福岡
市のルーツがこの地なのである。



 応永10(1403)年に開かれたという「妙興寺」は、戦国時代には広大
な寺域に1院10坊を構える大寺院であった。
その境内の一画には、黒田家の墓所があり、官兵衛の曾祖父・高政の墓、
祖父・重孝の供養塔がある。
又宇喜多直家の父で有り、岡山城を築いた宇喜多秀家の祖父・浮田興家
(おきいえ)の墓もあるが、今は訪れる人も少なくひっそりと佇んでいる。(続)





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