地蔵院のあるあたりが中町と言われるところで、関宿の中心的な場所らしく、高
札場が残されていてここらでは観光客の姿も一段と多く見かける。

門前に建つ会津屋は関宿を代表する旅籠の一つで、今はお食事処と成っている。
文久年間に建てられて米屋・川音や、鍛冶屋などが軒を連ねる一帯は、より宿場町
らしい風情を醸し出している。


そんな通りで醤油の焦げる香ばしい匂いに誘われて店を訪ねると、高校生の孫が
祖母の手伝いと言って、みたらしを焼いていた。
ここの名物は、“志ら玉”と言われるお菓子だ。

上新粉で出来た生地に、北海道産小豆で作ったこし餡を挟んだもので、江戸時
代から続く伝統的なお菓子らしい。緑、黄、赤で可愛らしく飾られた生地、甘さを控
えたお菓子は、いくつでも欲しく成る素朴な味である。
又この地には11代も続くと言う銘菓「関の戸」で知られたお菓子屋さんもある。

町中を歩いていると時々大きな板戸を閉ざした細長く背の高い建物を見かける。
元禄年間から伝わる「関の曳き山」の山車を格納する建物である。
最盛期には16基もの山車が有ったという。
華美を競うためたくさんの提灯を下げ、見送り幕や横幕で豪華に飾り立て、笛太鼓
で囃し立て、家々の軒先をかすめ、人ごみをかき分けて巡行していたので、山車の
巡行は「これがギリギリで、精一杯である」と言われたそうだ。

このことから“もう目いっぱい、これ以上は無理”と言う意味で生まれたのが「関の
山」で、この祭りが語源に成ったと言われている。(続)

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札場が残されていてここらでは観光客の姿も一段と多く見かける。

門前に建つ会津屋は関宿を代表する旅籠の一つで、今はお食事処と成っている。
文久年間に建てられて米屋・川音や、鍛冶屋などが軒を連ねる一帯は、より宿場町
らしい風情を醸し出している。


そんな通りで醤油の焦げる香ばしい匂いに誘われて店を訪ねると、高校生の孫が
祖母の手伝いと言って、みたらしを焼いていた。
ここの名物は、“志ら玉”と言われるお菓子だ。

上新粉で出来た生地に、北海道産小豆で作ったこし餡を挟んだもので、江戸時
代から続く伝統的なお菓子らしい。緑、黄、赤で可愛らしく飾られた生地、甘さを控
えたお菓子は、いくつでも欲しく成る素朴な味である。
又この地には11代も続くと言う銘菓「関の戸」で知られたお菓子屋さんもある。

町中を歩いていると時々大きな板戸を閉ざした細長く背の高い建物を見かける。
元禄年間から伝わる「関の曳き山」の山車を格納する建物である。
最盛期には16基もの山車が有ったという。
華美を競うためたくさんの提灯を下げ、見送り幕や横幕で豪華に飾り立て、笛太鼓
で囃し立て、家々の軒先をかすめ、人ごみをかき分けて巡行していたので、山車の
巡行は「これがギリギリで、精一杯である」と言われたそうだ。

このことから“もう目いっぱい、これ以上は無理”と言う意味で生まれたのが「関の
山」で、この祭りが語源に成ったと言われている。(続)

