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the birth-myth of japan 4

2015-09-04 | ancient history
大塚初重『古代天皇陵の謎を追う』
2015年 新日本出版社

 古墳の中でも、天皇陵と云われる特別な古墳があります。
 古代の天皇、初代神武から『日本書紀』の最後に名が登場する42代文武(大友皇子を39代弘文天皇として含む)まで、現在陵墓が存在しています。
 「神」がいわゆる天孫降臨して「天皇」一族が登場し、ヤマト政権を畿内に樹立して各地を制圧・支配下に置いていったという事が、『古事記』『日本書紀』に書かれている内容です。『古事記』はさておき、日本に現存する(写本だが)最古の正史とされる『日本書紀』に明記されている天皇のお墓があるのは当たり前のことだと思っていました。
 しかし、『日本書紀』に書いてある天皇名は、大友皇子(600年代中期の人)の曾孫・淡海三船(おうみのみふね:700年代中期の人)が後から付けた漢風諡号(かんふうしごう)で、『日本書紀』の編纂を命じた天武天皇(大海人皇子:600年代後期の天皇)でさえ、当時「天武」とは呼ばれていなかった、という事を知りました。ちなみに「弘文天皇」は、明治時代に諡号を付けられたそうです。しかも大友皇子は「天皇」に値する地位についていたかどうかも不確かであったのに。
 正史といっても『日本書紀』の初めの方の内容は、神話と現実が混在した世界観で、どう読んでも現実性が乏しいので、戦後は「神話」として扱われるのが一般的です。ですから、逆に神武天皇のお墓が存在することのほうが、おかしいことになります。↑画像の『古代天皇陵の謎を追う』という新しい本が出ていたので、読んでみました。
 現在の天皇陵がどのようにして治定されたのか、ということが解りやすく説明されてあります。また、治定されている陵墓の場所と墳形を表にして、その信頼度を◎○△●で評価してあり、それによると疑問無しに認められる陵墓が10基ありました。初代~6代までは全て●「陵墓とは認められない」。非実在説が有力な欠史八代(2代綏靖~9代開化)のうち7代まで●で、8、9代は△「陵墓だが異説あり」でした。欠史八代と云われる天皇たちは、『日本書紀』の中で名前のみ書かれてあるだけなので、実在していたとしてもお墓を見つけることは不可能でしょう。にもかかわらず、陵墓がある、という不可思議。
 『古事記』『日本書紀』を読んで、当時「天皇(てんのう)」という位はなかった歴史的事実は誰もが認識しているのに、未だに日本史では「神武天皇」や「推古天皇」やらと古代政権の最高権力者を「天皇」と呼び続けています。『日本書紀』には和風諡号もあり、こちらも死後付けられた名前ですが、こちらの諡号は実名を使ったのではないか、とされる諡号もあるそうです。
 和風諡号では「天皇」は「すめらみこと」と読まれ、元々「スメラミコト」と言われていたのではないかと思います。古代日本には文字表記がなかったため、漢字を輸入した際「天皇」の文字を当てはめたのでしょう。700年代後期になって、漢風諡号を付ける慣例ができて過去のスメラミコトたちにも漢風諡号が付けられました。今日わたしたちは、便宜上、漢風諡号を使っているだけなのです。
 ヤマト政権の権力者が「天皇」と呼ばれるようになったのは、天武(大海人皇子)からだと言われています。それ以前は、色々な呼び名があったみたいです。『日本書紀』の中でも、同一人物にいくつも別の名が書かれています。
 そもそも、淡海三船が統一的に○○天皇と表記したのは、「天皇」一族が「天孫」の家系であること、「神話」の世界の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)から続く血族であることを解りやすく表現する意図があったのではないか、と考えました。天皇家の系図は、『日本書紀』に記されている時代だけでも42代続いています。神日本磐余彦(カムヤマトイワレビコ)が初代天皇に即位したのが西暦紀元前660年とされています。これは考古学的にありえないと思います。
 卑弥呼が君臨していたのが西暦200年代初めから半ばくらいなので、カムヤマトイワレビコが日向(九州南部一帯。現代の日向市とは異なる)から畿内の大和盆地へやってきて、支配したのはそれより後年だと考えられるからです。15代応神天皇が270年に即位ということになっているので、西暦300年前後から大和盆地にヤマト政権が樹立されたのではないか、と頭の中で年表を作ってみました。
 それでは15代より前の「天皇」はいなかったということなのか、というと、そうは思えません。私は、「神話」の域にある「神武天皇」の話こそに、歴史的事実が描かれてあると感じるのです。橿原にある神武天皇陵が本物でなくても。

 
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