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53 stages of Tokaido-akasaka-

2009-08-20 | trip
                東海道三十七次赤坂宿<大橋屋>

東海道五十三次、37番目の宿場「赤坂」は、吉田宿→御油宿→赤坂宿と続く街道中とても栄えた宿場町のひとつです。ここには、1715年頃建てられてから現在も営業している旅籠『大橋屋』があり、町指定有形文化財になっています。入口が開いていたので中を見ることができました。ちょうどお盆中でご親戚が帰省していたのか、お孫さんの自転車やサンダルがあって、いかにも「現代でもちゃあんと営業してますよ」といった雰囲気が出てました。
この板の間の右手奥に仏間があり、お坊さんがお経をあげていました。江戸時代もこんな風にお経の声や線香の香りがしてたんでしょうねぇ。

広重の浮世絵の旅籠の内部の様子は、この大橋屋が江戸時代に称していた『伊藤右ヱ門 鯉屋」をモデルにしていると云われています。絵の中には当時珍しい蘇鉄が描かれていますが、この蘇鉄(だと言われてる)は今も大橋屋の近くのお寺の本堂前にあるそうです。私はそのお寺・浄泉寺には行きませんでしたが、この近辺にはいくつもお寺があり、ちょっと覗いたお寺は、聖徳太子立像が安置されていると境内にあるお宝リストに記してありました。誰もいなかったので中には入らず外から見てみましたが、それらしい像は見えませんでした。そんな目に付くような場所には置いてないでしょうね。

それから車で旧東海道をしばらく走り、再び国道1号線へ出ましたが左側(西に向かっていたので左手に東海道が平行している)をちらちら見ながら、ちょっと宿場っぽい場所があったら左に入ろうと運転してましたが、赤坂の次の藤川宿は、小さな傾いた杭のような木に「藤川宿」と書いてあるのが茂った雑草の蔭に一瞬見えて、「あ」と言う間に通り過ぎてしまいました。前に走っていた乗用車はためらいもせずその細い道へ入って行ったので、多分宿場を目指していたんでしょう。
藤川には、特になにかあったわけではないのでそのまま通り過ぎました。

帰宅後、本で見てみたら「平成の東海道」と呼ばれて、建設省の東海道ルネッサンス・プロジェクトで整備されていたそうです。やっぱ走っとけばよかったかも…。
東海道五十三次とは関係ないですが、徳川家康が子供の頃修行したと伝えられる法蔵寺が近くにあり、そこには新撰組隊長・近藤勇の首塚があるそうです。京都・三条大橋にさらされていた首を同士が盗み出してそこに葬った、と本には書いてあります。写真も載ってますが、塚の背後に後年作ったと思われる近藤勇の石の胸像があります。新撰組とか血気盛んなのには興味ないので、私にとってはどうでもいいことなのですが、藤川駅付近には、問屋場跡、高札場跡、旅籠、脇本陣門跡が残っていて無料資料館もあると書いてあるので、藤川宿も範疇に入れておけばよかった、、、と後の祭り・・・

「東海道中膝栗毛」には、

みほとけの誓ひと見へて宝蔵寺 なむあみぶくろはこゝのめいぶつ

と喜多八が詠んでいます。宝蔵寺は正しくは法蔵寺。阿弥陀にゆかりのある編み袋が名物だったそうで。名物の「物(ぶつ)」には「仏(ぶつ)」も含められています。弥治北の通った棒鼻(ぼうばな:宿場の境界を示す榜示杭という杭を立てる場所)は、広重の藤川宿に描かれ、現在も絵と同じように1本の杭と高札2本が立っています←本に写真が載っていた。やっぱり行っときゃよかった、、、


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