お訪ねした㈱呉竹・本社。
昨日お訪ねしたのは、墨、墨液、ふでペン、水墨画用品、絵手紙・水彩スケッチでおなじみの「株式会社 呉竹」さん。明治35年創業、105年の歴史ある会社である。
呉竹さんのHPを見ていると「墨の製造工程見学・・・」と書いてあった。
早速、お客さま窓口に電話をさせて貰った。本来は、5名以上でなければ受けて頂けないのだが・・・ご無理をお願いしたのだ。
ということで、カミさんと2人、奈良市内の本社へ。
お迎え頂いたのは、お客さま窓口の坪倉士郎さん。早速、墨の製造工場へ。
製造工程順に従って写真と説明書きを読んでいただくとして、説明書きには記されていない坪倉さんから伺った内容を紹介したいと思います。(「墨の製造」については、KuretakeさんのHPをご参照下さい。詳細に記載されています。)
見学用に通路が設けられ、各工程がガラス越しに見られ、それぞれ工程の写真と説明が掛けられている。
数千年の風雪に耐える記録材料としての墨は、推古天皇18年(610年)に高麗の僧、曇徴が墨造りを伝えたとの『日本書紀』に記載があるとか。この1千年余の歴史を持つ、奈良の墨づくり。
全国需要の90%のシェアを占めている。しかし「墨」を造るところは、現在では15軒(社)程度に減っているという。
墨は、原料の松の木を燃やして採る煤(スス)か、植物油を燃やして採る煤(スス)に分けられ、前者を「松煙墨」、後者を「油煙墨」と呼ばれている。
ここで使われているのは、植物性油の「菜種油」が多い。椿油は菜種油の10倍の原料費だとか。
昔は、油を入れた土器に灯芯をともし、上蓋に付くススを集める「土器式採煙法」だったが、昭和30年始め頃からこの「自動採煙機」を採用しているという。
松のススを作り出す「山小屋」の模型。
ただ、原料の松の木を燃やして採る松煙墨については、和歌山県などで作られたススを買われているという。
現在も松煙墨作りは、紙張り障子で囲った小屋にカマドを設け、倒木や枯れた松の木の根っこを燃やし、障子や天井に付いたススを払い落として集める方法だとか。
手間が掛かっている分だけ高価なのです。
ススはダイヤモンドに次いで粒子の細かいものだとか。
細かい粒子ほど、濃い黒色となるのです。
膠(にかわ)の役目は、ススの粒子を接着させることと、紙に移って(書かれて)からはススの粒子を紙に接着させ、艶を与えるのです。
バケツの中に水を入れ、その中にススを入れて混ぜてもススは浮いたままであるとか。ニカワでススの粒子をくっつけることで、水に溶け紙の上に移すことができるわけです。
ニカワは、なまぐさいニオイがするため、麝香(じゃこう)、竜脳(りゅうのう)、梅香香(ばいかこう)などの香料を加えられるのです。これが墨のいい香りなのです。
ススとニカワを混ぜる比率は、10対6が一般的で、細字やかな文字用は、ニカワの量を少なくしてネバリを下げるとか。
現在、この練り・型入れ工程の「墨作り職人」と言われる方は2名。(他に社員が1名)体力が必要な作業であるため高齢化により職人さんも少なくなっているという。
この工程作業は、10月から翌年4月までの寒い期間のみ行われ、職人さんはこの期間以外は他の仕事(農業など)に就かれている。ちょうど、お酒造りの「杜氏」と同じだ。
早朝4時頃から開始され、昼食抜きで午後2時過ぎには終えられるという。
墨の玉(固まり)は、餅のようだ。この黒い餅を作業所に持ち込み足で踏み、手で捏ねる。ススとニカワをしっかり練りこむのだ。
そして、座った股の下に挟み込む。必要な分だけ取り出し、型入れ用に千切り採る。余ったものはすぐに股の下に挟み込むのだ。これは常時体温と同じにすることで、練り易く、型入れしやすくするためだ。
この墨の玉を直接触らせてもらった。人肌の温かさだった。
固形墨には、色んな形があるが、仕上がりの重さが15gのものを1丁形と呼んでこれを基準とし、これを作るためにナマの墨の玉を26.25gを木型に入れるのです。
千切って天秤ばかりで計量し、木型に入れ、決められた時間プレス機に掛けられます。この加圧具合も難しいのです。木型から出された墨の形は、仕上がりの墨の倍ほどのふっくらとした大きさなのです。
型から出された墨は、乾燥室へ。
そのままの状態では、表面がヒビ割れするため、表面と芯を同時に乾燥させるため、木灰(クヌギの木)の湿度を変えたものを1日毎に変えるのです。それも直接、灰に触れさせず、新聞紙を入れ均等に乾燥させていくのです。1丁型で7日間灰の中で乾かされる。
灰による乾燥が終わると、藁(わら)で編んで、天井に吊るされ、室内で1~2ケ月乾かされます。
この工程の担当者も、「職人さん」と同じ時間帯の作業となります。
墨が乾ききるのに3年、更にニカワが熟成しその特性が安定するのに3年掛かるという。ススである炭素は安定していますが、ニカワは動物性の蛋白質のため、長い間に変質する。墨が本来の真価を発揮するのは、製造後20年~50年と言われています。
1日だけ灰の中で乾燥された墨を、木枠の型で出来たバリを、カンナやナイフで削り取る。
同時に、検品も行われている。昔は、この検品工程には会社のトップクラスが担当し、『墨の出来具合、つまり職人の技術の良し悪しの査定をしたのです。』と云われていた。
木型の胴やフタの彫りは、それだけでも芸術品だ。
書道家が書かれた文字を忠実に、梨の木に彫りこんでいく。
「福」という文字を、字体を変え丸い墨の周囲に現された「木枠」が展示されていた。木枠そのものも芸術品だ。
書道家の書と同じ風合いを出さなければならないのだ。
墨はニカワの劣化があるため、作り方と原料によって差があるものの40~50年迄が円熟期といわれている。
しかしながら、紙に移された墨は、300年、500年の時を経ても残っている。
虫に食べられて・・・というのは、表装の糊の部分であるとか・・・墨そのものは虫に食べられていないのです。
大昔の竹簡・木簡などが土の中から発見されているが、そこに書かれた墨文字は腐らずに残っている。
また、寺院などの扁額も、木は朽ちていても墨文字の部分だけが、浮き出て残っている。
古文書の収集家などの家には、瓶(かめ)が備えられているという。
万一火災が起これば、その瓶の中に古文書を投げ入れ焼失を防ぐためと言われている。
墨で書かれたものは、濡れても乾かせば元に戻るからだ。
昔は1シーズンに1丁型にして2000万~2500万丁を作ってきた墨の業界だが、近年では年間350万丁に落ち込んでいるという。
松煙墨が作られる工程を説明して頂く。
墨と硯の関係について
硯の材質と墨の磨り方によって、墨色が大きく変わるとか。
墨を磨(す)って、よく下(お)りるかどうかは、硯の表面にあるギザギザの硬さ形・方向にあるとか。その表面あった磨り方が大切とか。縦長の硯では前後に磨り、幅広の硯では「の」の字を描くようにします。
墨を磨るには、硯の丘に少しずつ水をしたたらせ、磨っては墨池に落とし込む。このほうが墨液の粒子がよく揃い、磨る時間も少なくてすむという。
手と墨だけの重みで、大きくゆったりと磨ることが良い磨り方だとか。
会議室に設けられていた「墨のコレクション」。
特別に、会議室に案内して頂き、貴重ないろいろな墨を拝見させて貰った。
「正倉院展」に展示される舟型の墨の復刻版だ。
10月27日から催される「正倉院展」に展示される「舟型」の墨の復刻版もあった。
書家の榊莫山さんの揮豪の入った「干し鰈」「山魚女」の金色の墨が・・・。
そして、ここで榊莫山さんの作品に出合ったのだ・・・。
正面の屏風仕立ての壁面に書かれた絵と文字。まさしく莫山さんの作品だ。呉竹さんと先生の親交の深さを現すものだ。
この前で、ずっと眺めていたかったのだが・・・。
液体墨の「墨滴」を開発・発売されたのは、昭和33年のこと。
最近では「くれ竹万年毛筆夢銀河」「絵てがみ・顔彩耽美」「香りがついた墨滴」などが開発・発売されており、新製品も次々と発売されている。
いろいろお世話になった「お客さま窓口」の坪倉士郎さん。正面玄関入り口には、製品が陳列され販売もされていた。
株式会社 呉竹
奈良市南京終町7-576
TEL 0742-50-2050