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スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

『飛鳥寺』にある、貫禄と流麗の文字 ②

2007-08-27 08:02:44 | 魅せられた「書」探訪


「飛鳥大佛」の貫禄ある字が、門の前で迎えてくれる。

ここ飛鳥寺は、法興寺・元興寺ともよばれており現在は安居院(あんごいん)と呼ばれている。
でも「飛鳥の大仏さん」があるため、私は「飛鳥寺」と呼ぶほうが好きだ。

596年に蘇我馬子によって建てられた本格的な伽藍配置の日本で最初の大寺院であり、本尊の釈迦如来像(飛鳥大仏)は、年代のわかる現存の仏像では日本最古のものと言われている。

創建時の飛鳥寺は、塔を中心に東・西・北の三方に金堂を配し、その外側に回廊をめぐらした伽藍配置であり、敷地は、東西約200m、南北約300mであった。
建築には、百済から多くの技術者がよばれ、瓦づくりや、仏堂や塔の建設に関わったとされ、これらの技術者や弟子達が全国の寺院建築に携わっていくことになるのです。

この日本一古い「飛鳥大仏」を迎える石標も、デンと構えた貫禄十分の文字だ。
昔の位置からかなりお寺の入り口に移されたようだ。
お寺の門前は駐車場になっており、門の手前にこの石標が座っている。


上部に<飛鳥大仏> 下の二行に<ましまして 斗帳に花の 主かな

このお寺の境内には、関西の高浜虚子と言われた「松瀬青々(まつせせいせい)」の句碑がある。
1961年(昭和36年)の建立である。崩し字であるため、なかなか読めない。
この青々さんの他にある句碑は、もっと崩して書いてあるそうだ。他の書も見てみたいものだ。

丸い円の中に、飛鳥大仏と、下に句を二行に分けて書いてある。
『ましまして 斗帳に花の 主かな』
上部に書いてある「飛鳥大仏」??・・・これが・・・?難しい。
ここまで崩されると、私には読めなくなってしまう。
でも、バランスの取れた流麗な文字だ。

御影石を磨いてあるのか、フラッシュを焚くとハレーションを起こしてしまう。近寄って、撮った。


莫山さんが惚れた「書」を訪ねて ①

2007-08-26 00:43:19 | 魅せられた「書」探訪
私は、莫山先生の書かれる「字」と「生き方」が好きだと、既に述べた。

本屋に取り寄せを頼んでいた先生の「野の書」(昭和40年発刊)と「書百話」(平成5年発刊)が、昨日届いた。
42年前に書かれた「野の書」は、近畿地区の神社仏閣や道端にある88個の扁額や石碑に書かれた文字の素晴らしさを歴史観に生活観を加えた軽妙な話し言葉(?)で紹介されている。


ということで、今回から何回かにわたって、私の好きな幾つかの文字を紹介しょうと思います。

決して、私は「書」にたいして造詣が深いわけでもなく、ただ単に美しい・趣のある文字を見るのが好きなだけであって、「文字」の持つ力強さと優しさをお伝えできればと思いますが・・・。

まずは、明日香村の「石舞台公園」入り口に建つ石碑。
「特別史跡石舞台古墳」と彫られている。この文字は莫山先生の師匠・辻本先生の揮毫されたものとか。
唐代の楷書であって野性味があり、オリジナルな力感を宿していると言われている。

撮影したのは、午後2時頃。逆光のため彫っている文字がもうひとつハッキリしない。莫山先生が撮られた42年前より石の腐食も進んでいるのかもしれない。

何年か前までは、「石舞台」を囲む樹木の生垣越しに、蘇我馬子の墓といわれる巨石が見えたものだが、今は入場料を払い園内に入らなければ巨石は見れないのだ。

石碑は、入り口の受付所手前の道路側に樹木に囲まれて、建っている。 だから入場料が要らないのだ。


「特別史跡石舞台古墳」の文字は、莫山先生の師匠・辻本先生が揮毫されたものとか。



石舞台の前にあった蓮畑。休耕田を利用されているのかなぁ?


石舞台から西に下りたところにある道標。明日香村島庄の曲がり角。お堂の前に目立たぬように建っている。
この文字もちょっと見にくい。
やはり石も歳を重ねるとやせ細るのか。文字の掘りが浅くなってきている。

梵字・漢字・カタカナ・ひらがな・変体仮名と五つの種類の字を使っている。
面白い組み合わせです。
「右はよしの」「左たふのみね」。
昔の人は、この道路標識で、「吉野方面」「多武峰方面」に向かったのだろう。


梵字の下に「右はよしの 左たふのみね」と書かれている。


小さなお堂の手前に道標がある。


「莫山先生」のこと

2007-08-17 08:19:22 | 魅せられた「書」探訪
いやはや、困ったことに、いま 「莫山(バクザン)さん」(失礼ながらこう呼ばせてもらう)にはまっている。
惹かれる文字と絵、そして生き方そのものに興味があるのだ。 <榊 莫山 先生の紹介>
昨日、北畠氏館跡庭園を訪ねたあと三重県上野市にある莫山さんのお宅に立ち寄ることにした。(けっして訪問でなく、見るだけなのです。)
ネットで住所を調べたが、「上野市」というだけで、詳しいことが分からない。仕方なく、地元で尋ねるしかなかったのだ。

そもそも、莫山さんのとりこになったのは、腰を痛めて動けないときに、「莫山書話」という本を読んだおかげ?なのだ。
地元の本屋に莫山さんの本を何冊か注文している。「野の書」「書百話」「漢字ちょっといい話」などを・・・。在庫があるのかないのか、まだ連絡がない。
気取らずわかりやすい言葉、読んでいて飽きない。絵や風景が浮かんでくる文体で、肩の凝らないものなのだ。それでいて、説得力がある。こころにグサッとくるときもある。

昔、NHKのある番組で、飄々とした口調で「書」のこと「文宝四宝」のことを話しておられた。
河内弁に大和ことばを交えた、飾りっけの無い、ボサボサ頭の「莫山おじさん」。
何回かの連続だったので、毎回楽しみにしていたのだ。

また、ある時は、自宅の菜園畑で、カブラをひいておられた。奥さん共々、農家のおじさん・おばさんの風貌だったと記憶している。

面白い人だ。西国三十三ヶ所巡りのお寺の境内にも、先生の書の石碑が迎えてくれた。どの作品も人間味ある詩書画だ。思わず佇みうっとりしたものだ。


この莫山さんの棲みかを覗きたくなって、上野市内の何箇所かをたずね、尋ね・・・。ついに、たどり着いた。

田舎暮らしとは知っていたが、やはり・・・というか、さすが邸宅という感じのお宅。もともと生まれはここ「上野市」。ここが昔からの実家なのかもしれないが・・・わからない。近所の人に聞いておくべきだった。

道路から少し入った小道。車で自宅の庭まで入れるのだ。
手入れの行き届いた日本庭園が広がる。庵のような屋根が奥のほうに見える。

オットこれはいけない。車が吸い込まれて庭の中に入ってしまいそうになる。
一旦手前の道まで戻り車を停め、歩いて自宅の庭前まで歩く。

下駄履きで、浴衣姿の莫山さんが、ウチワ片手に庭先から出てこられるのでは・・・と期待したが・・・。この暑さでは・・・とても無理だ。

広い庭には趣のある建屋・館が点在する。エアコンの室外機が音をたてている館がある。
今頃、筆を振るっておられるのだろうか。昼ごはんかなあ。

石垣で囲まれた屋敷の周りを歩きはじめたのだが、さも怪しいヤツだと言わんばかりに隣家のワン公が吠え続ける。やむ無く途中で諦め、ひき返した。

遠くから、屋敷を撮らせてもらった。
山ふところの木々に囲まれた、こんもりとした一帯が屋敷だ。

あまりの暑さで、長居は出来ず、車に戻った。
次の予定地である三重県上野市にある芭蕉五庵のひとつである「蓑虫庵」に向かった。




西国14番札所「三井寺」境内にある莫山さんの書。アチコチに作品があるのだ。

北畠氏 館跡 庭園の碑

2007-08-16 20:50:25 | 魅せられた「書」探訪
また榊莫山さんの本に載っていた「伊勢路の北畠氏館跡庭園」の入り口に建つ「石碑」を訪ねた。

私が知らないだけかも知れないが・・・。この庭園、かなり有名みたいだ。
桜井市から宇陀市へ、そして御杖村から三重県津市美杉地区に向かう途中に、大きな案内看板を何度か見かけた。

美杉地区にある北畠神社神苑の一部になっている「国指定文化財 北畠氏の館跡(やかたあと)庭園」だ。

今日は全国的に暑い。体温以上の暑さだ。
車から出るのが辛いほど暑い。この山奥でも道路上は38℃は超えてそう。
北畠神社の鳥居前に停め、木立の陰を探しながら境内に向かう。
境内には、杉の巨木が何本も聳えている。歴史を感じさせられる神社だ。

広い境内の中ほどにある社務所に向かう手前に石碑があり、生垣に囲まれた庭園が覗ける。
庭園面積850坪(2,805㎡)。入園料300円であるが、庭が目的でないので、垣根の隙間からレンズを覗かせて何枚か撮った。タダ撮りだ。ゴメンナサイ。

庭園は、室町末期頃、伊勢国司七代北畠晴具(ハルトモ)の時代に、著名な作庭者・細川高国の アドバイスによって造園されたと伝えられ、越前一乗朝倉庭園(福井県)、近江朽木谷秀隣 院庭園(滋賀県)などともに武将好みの野生味を残す名園として有名なのだ。

この庭園は数少ない神社の庭園であり(お寺の庭園は多いらしい)、しかも武将の作った庭らしく素朴であり、豪放であり、野性的な魅力があるといわれている。
昭和11年に、国の「名勝及び史跡」に指定され、500年を経ても当時の姿を保っている貴重な庭園である。

さて、目的の「石碑」であるが、碑に苔が張り付き文字がハッキリしない。 莫山さんが来られた時に写された碑の文字は、もっとハッキリ・クッキリしている。

碑を見られた莫山さんは、次のように述べておられる。
『わたしは、この庭園の碑を眺めながら、こりゃ名作やないけど、いい字だな、と思った。上から下へと、意外に書きづらい字がならぶ。が、この碑の文字は、軽くもなければ重くもなく、威張ってもいないし、遠慮のしすぎでもない。誰もが安心できる中庸の美が、この碑の魅力となっている。』
『ならば一字を、と問われたら、わたしは迷わず「庭」の字が一番、と答えよう。いいも、いいも、泣けてくるほどよい。ほかの字は、みんなこの庭のひき立て役である。』

この石碑には「名勝 史跡」と彫られているので、昭和11年以降のものだ。
「庭」という字をアップで撮ろうとしたが、彫られた中に苔が生えていてレンズ越しでは、よけい分かりにくい。苔を剥がしたくなるほどだ。

よし、この「庭」という字を練習したくなった。そのうちチャレンジしようと思う。


石碑には「名勝史跡 北畠氏館跡庭園」と彫られている。


この「庭」の文字は、莫山さんがお気に入りなのだ。


北畠氏の館があったところだ。北畠神社の鳥居をくぐり神苑に向かう。


北畠神社神苑の一部、850坪に武将好みの野生味を残す名園なのだ。


石碑の上には、椿の実が・・・。