いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

「怒り!」徳川家康の名言

2008年10月25日 08時02分16秒 | 心に留めた言葉
 現役を引退してそろそろ15年になるだろうか。その過程で私には一つの変化がある。

 組織から離れた安堵感からか自由に自分の感情を表現したいと思うようになった。それはいいのだが「怒り」がストレートに出てしまう時がある。

 その予防策として事を起す前に5秒間だけ数えてから行動に移せ、そうすれば怒りも和らぐと言うものだ。

 怒りは負けと自分に言い聞かせている。これまでの体験からも「怒って」いいことは無い。特に、自由気ままの生活が送れる身である私としては「怒り」だけには気をつけながら生活を送っている。時たま起こる現象だが!

「怒り」については、今も昔も変わらない。徳川家康(江戸幕府初代将軍。1542~1616)は、次の言葉を残している。

     『怒りは敵と思え』と。

 この言葉を肝に銘じながら日常生活を楽しく過ごして行きたいと思っている。

あるダンスサークルで旅行に行き名幹事ご夫妻だけで行き、宴会、ダンス、遊覧、帰宅まですべてを面倒見てくれた。旅行の決算報告の席で一人のご婦人が手を挙げた。

 宴会のときに皆さんはビールを飲んでいたが麦茶は一杯しか飲めなかった(部屋に麦茶セットは置いてあった)。不公平ではないかと言う。

 幹事の人は「その場で言っていただけねば今はどうしようもない」と返答したがまだぶつぶつと言っている。

 お茶が終わり部屋の清掃のときにもそのご婦人は幹事のところに行ってまた麦茶のことを言っている。

 まぁーいい大人がと思いながら聞いていたが、あまりの非常識な自分はお客様だサービスを受けるのが当たり前だと言う態度に頭に血が上ってしまった。

 「あなたは今の説明でも納得しないのですか!非違常識の人だ!」「幹事がすべてを皆さんのためにやっていることをサービスの提供が無いとはいい加減したらどうか」と語気を強めて言った。

 そのご婦人の言うことがいいね。「非常識かしら!」だと。お互いに力を寄り添いながら物事を進めているのに相手の苦労を悟ることなくサービスを受けるのが当たり前だとする非常識な人が居ることに驚いた。

 今、モンスターなるものが取り上げられているがこれと同類である。自分さえ良ければ他人はどうでもいい。自己中心それも他人に対する優しさ思いやりが微塵も無い。

 このような現象は教育が原因だろうと考えていたが、70歳を過ぎた人がこのような行動をとるのである。そんなことで私はこの理不尽なご婦人に対して「怒!」をぶつけたのだった。
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