邦画ブラボー

おすすめ邦画(日本映画)のブログ。アイウエオ順(●印)とジャンル分け(★印)の両方で記事検索可能!歌舞伎、ドラマ感想も。

「わが恋せし乙女」

2006年10月29日 | ★愛!の映画
捨て子だった美子(井川邦子)は
拾われた家の息子(原保美)
と兄妹同然に仲良く育った。
戦地から復員してきた兄は
美しく成長した妹に恋心を抱き、
母(東山千栄子)も二人が夫婦になることを望む。

だが
娘には言い交わした恋人がいることを知って、
兄は悩み、身をひく決心をする。

たったそれだけの物語なのに
私の心はかき乱された!

こんなにも美しい映画があるとは!

広い牧場を撮るカメラ、澄み切った空、
風にたなびくドレス。
この世の美しいものすべてが結集されているかのような映像だ。
この映画が撮られたのは
戦後まもなく。
空も木も風も花も雲も虫も馬も!
命の躍動に満ちている。

そしてまたもや木下忠司の音楽が
生の喜びを謳いあげる。

祭りの夜、花で飾られた馬車で
無邪気に恋を打ち明ける妹と、見つめる兄の哀しい瞳。

兄さんが可愛そすぎで妹は鈍感すぎだろう。
妹のバカバカバカと感情移入し、同情してしまうのであった!

この映画のツボ、
妹の恋人はとてもいい青年なのだが、
その足は戦争によって砕かれているのです。

木下映画には何気ない風を装いながら、
戦争が暗い影を落とす。

木下恵介が最も描きたかったのは
人間にとって(自然にとっても!)大きな不幸である「戦争」と、
戦争によって運命を狂わせられた市井の人々の
哀しみだったのかもしれない。

登場人物は全員善人なのに不幸が発生してしまう。
誰かの幸福は誰かの不幸の上に成り立っているのだろうか?

哀しみを押し殺して微笑む、若い原保美さんには感動した。

美しい。
美しすぎて哀しい。死ぬまで忘れられない映画になりそうである。

*映画の中のイイ女*
井川邦子 はつらつとした健康的な美人さん。
純な娘っこらしい、屈託の無さ過ぎる微笑が目に焼きつく。
お母さんの形見の白い舞台衣装を着て、スキップスキップ♪
ネットで
こんな画像を見つけて感激!

1946年 木下恵介監督作品
脚本:木下恵介、撮影:楠田浩之、音楽:木下忠司

ブログランキングへオネガイシマス


「永遠の人」

2006年10月27日 | ★人生色々な映画
木下恵介映画を見ると
いつも開いた口がふさがらなくなるので
見る前に
何が来ても驚かないように気持ちを整理しておく
のだが、

今回も仰天してしまった!

「永遠の人」?ロマンチックな恋愛物語かしら?などと
思っていたら大間違いだった。

思い切った発想、誰も考えない手法、
ズバッと切れる脚本と、三拍子揃っている上に
音楽がびっくり仰天です。

なんと「フラメンコ」に熊本弁の歌詞・ト書きを乗せるとは!!

水戸黄門のテーマでもおなじみ、
木下忠司は恵介映画に無くてはならないビックリ野郎だ。
木下兄弟が揃った眩惑世界は最強である。

切迫したシーンにフラメンコギターを
かき鳴らし、あおりにあおってくるからたまらない。

それでもって雲が綺麗
途方にくれるようなセンスである!

さだ子(高峰秀子)は
許婚のたかし(佐田啓二)が兵隊に取られている間に
地主の息子(仲代達矢)、に乱暴されてしまう。

戦地から帰ってきたたかしはそれを知り、村から出て行く。
さだ子は年老いた父親(加藤嘉)を連れ
仲代の家に嫁に入るが、終生夫をなじり続け、
過ちによって出来た長男(田村正和)まで憎んで
死に追いやってしまう。

次男は東京に出て「アカ」になって警察に追われるわ、
娘はたかしの息子と駆け落ちするわで、めちゃめちゃである。

高峰秀子はくどくどと恨みがましく、
仲代達矢は乱暴、佐田啓二は優柔不断だし
その妻乙羽信子は嫉妬深く陰鬱だし、息子は問題児だし、加藤嘉は情けない父親である。

全員どうしようも無いが
その反面、愛すべき側面も見えたりする。
それが人間という複雑な生き物なのだろうか。
脚本がすごい。

笛吹き川」に続いて作られた一代記、
憎しみの連鎖、愛憎の物語である。
ドロドロの内容なのに、
木下組のはえぬき楠田浩之が撮る画面は
引きもアップも恐ろしいくらいに美しいときたもんだ!

そんな作品に「永遠の人」という皮肉な題名をつけるとは、
木下恵介は
予想を裏切り続ける、天才だ!と確信した。

*映画の中のイイ女*
高峰秀子;この作品の中のデコちゃんは
恨みツラミで口がちょっと「へ」の字です。
田舎の奥さん役なので着物も思い切り地味。
佐田啓二を見つめる時だけは可愛い。乙羽信子は
「黒塗り」で、これでもかと醜く撮られてます。爆)

監督
木下恵介

脚本
木下恵介
撮影
楠田浩之
音楽
木下忠司
美術
梅田千代夫

ブログランキングオウエンオネガイシマス


「ある殺し屋の鍵」

2006年10月26日 | ★ハードボイルドな映画
踊りの師匠が男の表の顔だが
裏稼業はもちろん殺し屋だ。

名前は「新田」としておこう。

ある殺し屋」の続編は
またあのギターの調べで始まった。
物悲しいメロディが物語へといざなう・・・

新田は色と欲がうずまく世の中で
粛々と仕事をこなす殺しのエキスパートだ。

金のため?

いいや。

女のため?

違う。

復讐か?

ノー

てめえらは人間じゃねえたたき斬ってやるんですか?

関係無い

ここでも一切の背景は述べられない。
この世はすべて馬鹿馬鹿しい・ナンセンス・・茶番だ・・
殺し屋はもちろんそんなことはひと言も喋らない。
戦争の暗い影がちらりと覗き、

そこにはただ風が吹いているだけである。

昭和の香りが色濃いのはギターの音色のせいだろうか?

前作の舞台は荒地、墓場の傍のぼろアパートという
場末も場末、大場末だったが
この作品ではゴーゴークラブや
洒落たレジデンス(マンション)と、都会的な彩りだ。

監督は同じく森一生。脚本は大映専属の小滝光郎となり、
増村保造 は構成にまわっている。

哀れな西村晃がまんまとその手にかかり
したたかな佐藤友美(ってこんなイイ女だったっけ?)が、新田を誘う。

題名にある「鍵」の扱いも皮肉な
乾いた大人のメルヘンである。

二作共傑作!

映画の中のイイ女:
佐藤友美 熟女になられてからしか知らなかったので
若い頃こんなにキュートだったのかと新鮮でした。
軽くウェーブかかったロングヘアに体にそったドレス。
都会的でクールな女・・年配になってもこの路線を崩さなかったんですね!

監督 森一生
脚本  小滝光郎
構成  増村保造
原作  藤原審爾
撮影   宮川一夫
音楽  鏑木創
美術 太田誠一

ブログランキングへオネガイシマス



「ある殺し屋」

2006年10月25日 | ★ハードボイルドな映画
これも長年見たかった映画。
森一生監督・雷蔵主演の傑作現代劇。

小料理屋の主人というのは表の顔で
裏の世界では知らないものはいない凄腕の殺し屋、
塩沢(市川雷蔵)が
依頼された仕事を淡々とこなす。
ギターのつまびきが物悲しく彩る。

木枯らしの中を
スーツケースを片手にたったひとりで歩く男・・・・

女?要らないね。
金?どうでもいい
仲間?ひとりがいい

虚無 といえば眠狂四郎である。
任務を全うする非情な男・・は
「忍びの者」の忍者、「陸軍中野学校」のスパイを髣髴とさせる。
だが塩沢は何処にも属さない一匹狼の殺し屋だ。

何処から来たのか
何故殺し屋稼業なのか、そんなことは一切説明されない。

特攻隊だった過去や
戦争の重い傷をちらりと感じさせるが、
ランボーのようにしつこく強調されることはない
ゴルゴ13のように難しい顔のままで女を抱いたりもしない。

ただ乾いたムードが漂うのみだ。

塩沢さんカッコイイ!などと浮かれた言葉も似合わない。

脚本が増村保造 石松愛弘だもん、いいよね。

ミスターハードボイルドフェイス、
成田三樹夫と野川由美子、小池朝雄が色と欲担当。
渚まゆみもちょい役で出る。
多勢を相手にしての荒地での立ち回り
もとい戦いは、宮川一夫のカメラによって
身震いするほど美しく撮られている。

雷蔵は何をやっても凄いわ。

原作は「赤い殺意」や「秋津温泉」なども書いている藤原審爾。
読んでみたくなった。

*映画の中のイイおんな*
野川由美子 はすっぱで可愛い女をやらせたら
この人の右に出るものはいないでしょう。モチーフ編みのセーターを
ざっと脱ぎ捨てて下着だけになってもいやらしくないのは
バービー人形みたいなすっきりした体つきのせいかもしれませんな。
他には小林幸子も出ていますが、現在のお姿とは一味もふた味も
違ってます。

1967年 森一生監督作品
脚本  増村保造 石松愛弘
原作  藤原審爾
撮影  宮川一夫
音楽  鏑木創
美術  太田誠一

ブログランキングへオネガイシマス

「忍びの者・続霧隠才蔵」

2006年10月24日 | ★ぐっとくる時代劇
「忍びの者」として五作目
霧隠才蔵ものとなって二作目
ややこしいがそういうことになる。

話は続いているが
前作鴈治郎だった家康が小沢栄太郎に、と
配役は変わっている。

大阪夏の陣からの幕開け。
またもやしょっぱなから大砲の音と共に
指揮を取る家康が吼えまくる。

徳川の勢いはとどまるところが無い。

だがただひとり
その流れに抗うストイックな男がいた。

ソレは誰かといえば・・

炎に包まれた城内で腹を切ろうとする真田幸村(若山富三郎)を
熱く説得し城から逃がす霧隠才蔵(市川雷蔵)・・
に決まってます。

幸村への忠誠を貫き、家康(小沢栄太郎)の命を狙う霧隠は
スイッチオンになったままのターミネーター状態だ。

元々捨て身の忍者には恐いものなどあるはずが無く
たとえ幸村が死のうとも年老いた家康が病魔に臥そうとも
その手を緩めることは無い。
案の定家康本人にまで
「おぬしがわざわざやらずともワシは病で死ぬワ」
と笑われるが、才蔵は意に介さないどころか
目標貫徹に向けて燃え上がるばかりだ。

遂に家康が死んで、
「やったやったぞ家康が死んだ!」と叫ぶ姿には鬼気迫るものがあった
だが老獪な家康の指示もあって徳川の世は
ゆるぎないものになっていく。
これはブラックなオチといわざるを得ないだろう。

屋根裏での忍者の戦い、水中戦、くノ一戦など見所は押さえてありますが
ゲストも地味でちょっと失速気味。

「忍びの者」は当初、シリーズを予定していなかったが
図らずも大当たりしたので次々と続編を作ることになった。

雷蔵自身は忍者五右衛門が、死んだ妻子の元へ向かう
二作目で「忍びの者」を演じきったつもりだったようだ。
(「雷蔵・雷蔵を語る」より)
人気沸騰したため、
会社側の意向で続けることになったが、
雷蔵は
五右衛門(1、2)→釜茹でから復活・出奔(3)
という展開に疑問を感じたそうだ。
加えて
→いきなり霧隠才蔵が主人公に(4から
)となったのだから
大いに戸惑ったのではないだろうか。

面白いのは、
そうして会社の命でシリーズを続けざるを得ない自分を
「私の境遇も大きな力に押し流されてしまう忍者の運命に
似ているかもしれません・・・」と書いているところだ。

やるからには面白いものにして観客を楽しませたい・・
と思ったに違いないが
この第五作の歯切れがイマイチなのは、
そんな雷蔵自身の迷いが出ているからのような気がする。

1964年 監督 池広一夫
脚本   高岩肇
撮影 牧浦地志
音楽   池野成
美術   西岡善信

ブログランキングへオネガイシマス