あらゆる出来事はあたかも春の薔薇、夏の果実のごとく日常茶飯事であり、なじみ深いことなのだ。
同様のことが病や死や讒謗や陰謀やすべて愚かな者を喜ばせたり悲しませたりする事柄についてもいえる。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第4巻44、岩波文庫)
アウレーリウス、ストア哲学の探求した「不動心(アパティア)」というのは、原語でいえば「アパティア」つまり過剰な感情に陥らない、激情から解放されているということで、何の感情もないということではありません。
「春の薔薇」、「夏の果実」という表現には、むしろアウレーリウスの豊かな感性が感じられます。
そういう意味でのアパティアは南泉和尚の「平常心」とも通い合うものがあるような気がします。
(↑ストア派哲学ではふつう「アパティア」なのですが、アウレーリウスは「アタラクシア」という言葉のほうを使っているようです。補足・訂正します。)
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