午後、暑い日盛りに出かけて採点表を宅急便で送りました。
夏休みになってもちっと休めない期末の大課題が、やっと終わったー!という感じです。
といっても、この夏は『仏教とアドラー心理学』というタイトルで一冊書下ろしをしなければならないので、暇にはならないのですが、それでも一区切りがつくとほっとします。
明日は、雑誌のインタビューを受け、それから秋から3コマも増えてしまう授業のシラバスを書き、何よりもサングラハ第100号記念の原稿をまとめなければなりません(←あ、これは「条件付must」です、念のため)。
暑さにまいっている暇がなさそうです。
そこで、今日はゆったりとした心を取り戻すヒントになることばを、自分のために引用することにしました。
あまりにも有名な禅の古典『無門関』の第17則は、唐代の禅僧南泉(なんぜん)和尚の「平常心是道(びょうじょうしん これ どう)」という言葉の出てくる箇所ですが、そのエピソードに編者無門慧開(むもんえかい)の付けた頌(じゅ、詩句)です。
春に花有り秋に月有り 夏に涼風有り冬に雪有り
若し閑事(かんじ)の心頭(しんとう)に挂(か)かる無くんば 便ち是れ人間(じんかん)の好時節(こうじせつ)
前半は解説の必要はないでしょう。
このことばは、気づけば、四季折々に爽やかなもの、美しいものあることを思い出させてくれます。
それに眼を向けて、閑事つまりつまらないことを、心頭つまり意識の表面にひっかけさえしなければ、その時、その時が人間として生きることのできるすばらしい時だ、というのです。
そういう毎日毎日を生きることのすばらしさに気づいている心のことを「平常心」といいます。
一般に理解されている、「平常心(へいじょうしん)」、何かある時に平静さを保てる心というのとは、ちょっとニュアンスがちがいます。
そういう平常心(びょうじょうしん)で生きることが、道そのもの、真理そのものだ、と『無門関』は語っています。
エックハルトの言葉と響き合っている、と思われませんか。
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