あらゆる出来事はあたかも春の薔薇、夏の果実のごとく日常茶飯事であり、なじみ深いことなのだ。
同様のことが病や死や讒謗や陰謀やすべて愚かな者を喜ばせたり悲しませたりする事柄についてもいえる。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第4巻44、岩波文庫)
アウレーリウス、ストア哲学の探求した「不動心(アパティア)」というのは、原語でいえば「アパティア」つまり過剰な感情に陥らない、激情から解放されているということで、何の感情もないということではありません。
「春の薔薇」、「夏の果実」という表現には、むしろアウレーリウスの豊かな感性が感じられます。
そういう意味でのアパティアは南泉和尚の「平常心」とも通い合うものがあるような気がします。
(↑ストア派哲学ではふつう「アパティア」なのですが、アウレーリウスは「アタラクシア」という言葉のほうを使っているようです。補足・訂正します。)
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哲人にしてローマ皇帝の、自分のために書いたセルフトーク…
アパティアというと病気の「アパシー」みたいですが、ぜんぜん違うことがわかりました。
ここでも、時代も場所もぜんぜん違う時代の人の言葉が深く重なり合っているのがとても印象的です。
次回も「ことば」楽しみにしております。
「持続可能な国」の実現への大きな一歩、すごいですね!
真夏のひと時、清々し気分にさせてくれます。
アウレーリウスに、また触れてみたくなりました。
「白山スーパー林道」は、本当に感動的でした。
またすぐに行きたいくらいです。
ワークができる機会があるとよいですね。
「アパシー」はよかった。そう、多分語源は同じだと思います(まだ調べていませんが)。
似て非なるものですね。
>HIROさん
アウレーリウスの言葉は美しいですね。シェアしましょう。
白山スーパー林道、よかったでしょう? よかった。
アンチエイジング対策が功を奏してその元気が出てきたら、またワークをしてもいいなあ、と思っています。