最高/最低 18.5 11.2 晴時々曇
9月初旬から始まった、同窓会の準備。
一人幹事ですべての仕事をこなし、すべて一人で計画し実行した。
この日はその当日だが、運営、会計処理から二次会まで一人でやった。(2次会はみんなと一緒に探して、決めた。)
昨年は、呑み放題のコースでなかったため、お酒の量が多くなり支払額が想定よりはるかにオーバーし、驚いたが、今回は呑み放題で、一人5000円なので支払いに混乱することはなかった。
天王寺での2次会(お茶)も含め、終日楽しく過ごせることが出来た。
先生を含め14名が出席した。
2次会終了後は、先生のご自宅近くまで同行したが、途中で先生の奥さんが来られたので、そこでお別れした。
元国立大学教員は、今も原子物理関連装置の運転を依頼されたりして活躍しているようだ。
もう一人の元大学教員の博士(国から博士号審査者を審査する権限を委託されていたという。)は、趣味のギターでスペインに演奏旅行に行ったという。
幹事をやっていたため、演奏会の詳しい話が聞けなかったのが残念だ。
その他多くの同窓生は、百姓(趣味の菜園も含む)をしたりゴルフをしたりして、悠々自適の生活を送っているようだ。
その中で私だけが、年収130万程度の貧困生活者(保険料を差し引くと月10万円となり、更に家賃を差し引くと月8万円以下の生活となる。)でありながら、幹事になり会費の5000円や2次会の出費を気にしながら、ボロ靴をはき、くたびれたズボンや背広を着ながら胸をはって動き回っているのは、客観的に見れば滑稽な構図に見えただろう。
人生、誰でも浮き沈みはあるし、同窓生の物故者も何人もいるし大病を患った人も多い。
私の場合も、40代を過ぎるまでは、それなりに経済的に余裕もあり、贅沢はしなかったが4-5千万円程度の預貯金や株は持っていたので、数万、数十万円の物は迷わずキャシュで買うことが出来た。
サラリーマン時代は、チャージが7千円する阪急東通り商店街近くのスナックに古い友人や飲み友達が通っているので、私も週一以上に通っていた。(ピンサロやキャバクラではなく、純粋にお酒と会話やカラオケを楽しむ店だった。それ以外に行きつけの炉端焼きの飲み屋や割烹料理の店やフォルクローレの店やギター演奏のスナックもよく通った。)
当時、株もやっていて、それなり株でも収益を得ていた。
40歳過ぎてから、手持ち資金を背景に、アメリカへ1年半英語留学し、その後中南米を廻り、喫茶店、民芸雑貨の店、画廊を順次経営し、すべて失敗し、その結果数百万円の借金を抱えた。
ギャラリー廃業後、東大阪のブラック企業2社で働き、低賃金の契約社員なので残業代も全くつかないのに、毎日夜10時過ぎの残業や休日出勤をさせられたことが常態化していた。
その後、営業の仕事をした後、会社経営時代から累積した数百万円の借金の為、自己破産して今に至っている。
自己破産後は、借金は無くなり、年金収入だけの相対的貧困の生活をしている。
その意味で、余裕のある生活から、借金地獄とブラック企業で厳しい労働や、現在の貧困生活まで体験しているので、人生経験は豊富といえるだろう。
同窓会は、そうした人生の意味も振り返らせてくれる。
今の時点では、貧しいけれど悔いのない人生と思っている。
思い出・私的生活住環境(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方」ホルダーに収納しています。)(自分のメモとして)
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9月初旬から始まった、同窓会の準備。
一人幹事ですべての仕事をこなし、すべて一人で計画し実行した。
この日はその当日だが、運営、会計処理から二次会まで一人でやった。(2次会はみんなと一緒に探して、決めた。)
昨年は、呑み放題のコースでなかったため、お酒の量が多くなり支払額が想定よりはるかにオーバーし、驚いたが、今回は呑み放題で、一人5000円なので支払いに混乱することはなかった。
天王寺での2次会(お茶)も含め、終日楽しく過ごせることが出来た。
先生を含め14名が出席した。
2次会終了後は、先生のご自宅近くまで同行したが、途中で先生の奥さんが来られたので、そこでお別れした。
元国立大学教員は、今も原子物理関連装置の運転を依頼されたりして活躍しているようだ。
もう一人の元大学教員の博士(国から博士号審査者を審査する権限を委託されていたという。)は、趣味のギターでスペインに演奏旅行に行ったという。
幹事をやっていたため、演奏会の詳しい話が聞けなかったのが残念だ。
その他多くの同窓生は、百姓(趣味の菜園も含む)をしたりゴルフをしたりして、悠々自適の生活を送っているようだ。
その中で私だけが、年収130万程度の貧困生活者(保険料を差し引くと月10万円となり、更に家賃を差し引くと月8万円以下の生活となる。)でありながら、幹事になり会費の5000円や2次会の出費を気にしながら、ボロ靴をはき、くたびれたズボンや背広を着ながら胸をはって動き回っているのは、客観的に見れば滑稽な構図に見えただろう。
人生、誰でも浮き沈みはあるし、同窓生の物故者も何人もいるし大病を患った人も多い。
私の場合も、40代を過ぎるまでは、それなりに経済的に余裕もあり、贅沢はしなかったが4-5千万円程度の預貯金や株は持っていたので、数万、数十万円の物は迷わずキャシュで買うことが出来た。
サラリーマン時代は、チャージが7千円する阪急東通り商店街近くのスナックに古い友人や飲み友達が通っているので、私も週一以上に通っていた。(ピンサロやキャバクラではなく、純粋にお酒と会話やカラオケを楽しむ店だった。それ以外に行きつけの炉端焼きの飲み屋や割烹料理の店やフォルクローレの店やギター演奏のスナックもよく通った。)
当時、株もやっていて、それなり株でも収益を得ていた。
40歳過ぎてから、手持ち資金を背景に、アメリカへ1年半英語留学し、その後中南米を廻り、喫茶店、民芸雑貨の店、画廊を順次経営し、すべて失敗し、その結果数百万円の借金を抱えた。
ギャラリー廃業後、東大阪のブラック企業2社で働き、低賃金の契約社員なので残業代も全くつかないのに、毎日夜10時過ぎの残業や休日出勤をさせられたことが常態化していた。
その後、営業の仕事をした後、会社経営時代から累積した数百万円の借金の為、自己破産して今に至っている。
自己破産後は、借金は無くなり、年金収入だけの相対的貧困の生活をしている。
その意味で、余裕のある生活から、借金地獄とブラック企業で厳しい労働や、現在の貧困生活まで体験しているので、人生経験は豊富といえるだろう。
同窓会は、そうした人生の意味も振り返らせてくれる。
今の時点では、貧しいけれど悔いのない人生と思っている。
思い出・私的生活住環境(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方」ホルダーに収納しています。)(自分のメモとして)
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