このころ、オミクロン株の流行が拡大し始めたことが報道された。
この時点では、我々は、オミクロン株が重症化しにくいという点を強調されて、まさか社会の機能に影響する事態になるとは、だれも思っていなかった。
しかし今(2/12)から振り返れば、これほど感染力が強く、高齢者やワクチン未接種者が重症化するとは、だれも思っていなかった。
海外の論調や我が国でも一部の人は、オミクロン株がデルタ株に置き換わり、インフルエンザのような形で収束すれば、最もいいパンデミックの収束のシナリオだという人もいた。
しかし2月12日の現状は、毎日10万人弱の感染者が出て、医療体制は逼迫し、高齢者を中心に重傷者や死亡者も、第5波のデルタ株を上回り、乳幼児や子供と家庭内感染が広がり、学校や保育園の閉鎖のため、保護者が休業しなければならず、同時に成人の感染の増加のため、感染者や濃厚接触者が急増し、業務に影響し始めているのだ。
さらに感染者の急増のため、病床が一杯になり、軽症者や酸素吸入不要の中等症1程度の人は自宅療養にし、医師の診療もPCR検査なしでもみなし診断を可能にした。
PCR検査の結果は数日待ちになり、保健所への連絡もつながらず、感染が判明しても保健所からの連絡は数日後という状態で、第5波と似た状況になっている。
一般の救急は、コロナによる医療逼迫のため、緊急性のある救急(心筋梗塞・脳梗塞)の受け入れ先がなかなか見つからず、数時間車内で待機ということが普通になっていると報道されている。
2月の現状は、いつ緊急事態宣言が出されてもおかしくない切迫した状況であるが、東京は、ここ4日間感染者が減少していて、頭打ち感が指摘されている。
今では、デルタ株の時と違い飲み薬等の効果的な治療薬(ファイザーの飲み薬も昨日特例承認され、塩野義の飲み薬も近日中に特別承認される方向という。)もあり、3度目のワクチン接種も出遅れてはいるが、今は強力に推進され、もう少したてば収束に向かうだろうが、ここ1-2週間は医療逼迫による混乱が続き、社会は混乱するのだろう。
さて、この日は朝からプチ断食に入った。
午前中、洗濯機の排水時に、玄関前の溝があふれて水浸しになったまま、水が引かないので、玄関周りの溝を掃除した。
玄関横=炊事場の前には植木罰が大量に置かれていて、植木の土ろ表のごみが溝に流れ溝を埋めているらしい。
これらをきれいにするには、一旦植木鉢を移動しなければならず、大変な作業になるのでやめた。
午後から遅れている昨日記をまとめて書いた。
今日のように丁寧に書いていては、前に進まないので、特別に記載する内容のない日は、数行にとどめて、昨日記の処理を優先した。
私にとって細かな一日の出来事は、予定日報表を見れば、数課月前のことでも凡そのことを思い出す。
この昨日記も予定日報表を見ながら書いているのだ。
ただ詳細はやはり文章にしていないと思い出さない。
というのは、私はよく古い昨日記をよく見る。
一日見ていても飽きない。
何年も前のことになると、予定日報表を見ても、印象に残っていなければあまり思い出さない。
しかし昨日記を読むと鮮明に思い出す。
私にとって、昨日記は貴重な宝物でもあり財産である。
夜になって、近くのファストフードに行き、プチ断食明けコーヒーとハンバーグを楽しみながら、弥生博物館の近畿の弥生時代の始まりについてのカタログの中の専門家の最新研究の論文を読んだ。
非常に興味深かった。
すでに、以前から言われているが、縄文時代から弥生時代への変革は地域で時期が違い、しかも地域内でも弥生文化と縄文文化が共存していた時期があるらしいことが書かれていた。
また縄文時代や弥生時代とも、我々の想像以上に広い範囲で交流があったことが分かっている。
例えば、韓国中部の松菊里遺跡の人たちが、直接四国の高知に来て弥生集落(田村遺跡)を営んでいた可能性があるという。
さらに、高知の仁淀川近くの居徳遺跡は東北や北陸の晩期縄文文化の影響を受けていて、遺物の状況から強い関りがあったようで、非常に興味深い。
弥生時代は、考古学的には、紀元前千年前後に北九州の板付飛行場・遠賀川周辺の板付遺跡(弥生時代末期の奴国に近い)や弥生時代末期の伊都国のあった糸島市周辺に韓半島からの渡来人が入り、水田稲作を始めたことが弥生時代の始まりとされている。(弥生時代開始時期については国立歴史民俗博物館が、最新の科学技術を駆使し2000年頃からに研究成果を発表し、2011年には歴博の弥生時代年代決定批判に反論する本「新 弥生時代」も出されていて、弥生時代の開始時期は定着しつつあるようだ。)
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この時点では、我々は、オミクロン株が重症化しにくいという点を強調されて、まさか社会の機能に影響する事態になるとは、だれも思っていなかった。
しかし今(2/12)から振り返れば、これほど感染力が強く、高齢者やワクチン未接種者が重症化するとは、だれも思っていなかった。
海外の論調や我が国でも一部の人は、オミクロン株がデルタ株に置き換わり、インフルエンザのような形で収束すれば、最もいいパンデミックの収束のシナリオだという人もいた。
しかし2月12日の現状は、毎日10万人弱の感染者が出て、医療体制は逼迫し、高齢者を中心に重傷者や死亡者も、第5波のデルタ株を上回り、乳幼児や子供と家庭内感染が広がり、学校や保育園の閉鎖のため、保護者が休業しなければならず、同時に成人の感染の増加のため、感染者や濃厚接触者が急増し、業務に影響し始めているのだ。
さらに感染者の急増のため、病床が一杯になり、軽症者や酸素吸入不要の中等症1程度の人は自宅療養にし、医師の診療もPCR検査なしでもみなし診断を可能にした。
PCR検査の結果は数日待ちになり、保健所への連絡もつながらず、感染が判明しても保健所からの連絡は数日後という状態で、第5波と似た状況になっている。
一般の救急は、コロナによる医療逼迫のため、緊急性のある救急(心筋梗塞・脳梗塞)の受け入れ先がなかなか見つからず、数時間車内で待機ということが普通になっていると報道されている。
2月の現状は、いつ緊急事態宣言が出されてもおかしくない切迫した状況であるが、東京は、ここ4日間感染者が減少していて、頭打ち感が指摘されている。
今では、デルタ株の時と違い飲み薬等の効果的な治療薬(ファイザーの飲み薬も昨日特例承認され、塩野義の飲み薬も近日中に特別承認される方向という。)もあり、3度目のワクチン接種も出遅れてはいるが、今は強力に推進され、もう少したてば収束に向かうだろうが、ここ1-2週間は医療逼迫による混乱が続き、社会は混乱するのだろう。
さて、この日は朝からプチ断食に入った。
午前中、洗濯機の排水時に、玄関前の溝があふれて水浸しになったまま、水が引かないので、玄関周りの溝を掃除した。
玄関横=炊事場の前には植木罰が大量に置かれていて、植木の土ろ表のごみが溝に流れ溝を埋めているらしい。
これらをきれいにするには、一旦植木鉢を移動しなければならず、大変な作業になるのでやめた。
午後から遅れている昨日記をまとめて書いた。
今日のように丁寧に書いていては、前に進まないので、特別に記載する内容のない日は、数行にとどめて、昨日記の処理を優先した。
私にとって細かな一日の出来事は、予定日報表を見れば、数課月前のことでも凡そのことを思い出す。
この昨日記も予定日報表を見ながら書いているのだ。
ただ詳細はやはり文章にしていないと思い出さない。
というのは、私はよく古い昨日記をよく見る。
一日見ていても飽きない。
何年も前のことになると、予定日報表を見ても、印象に残っていなければあまり思い出さない。
しかし昨日記を読むと鮮明に思い出す。
私にとって、昨日記は貴重な宝物でもあり財産である。
夜になって、近くのファストフードに行き、プチ断食明けコーヒーとハンバーグを楽しみながら、弥生博物館の近畿の弥生時代の始まりについてのカタログの中の専門家の最新研究の論文を読んだ。
非常に興味深かった。
すでに、以前から言われているが、縄文時代から弥生時代への変革は地域で時期が違い、しかも地域内でも弥生文化と縄文文化が共存していた時期があるらしいことが書かれていた。
また縄文時代や弥生時代とも、我々の想像以上に広い範囲で交流があったことが分かっている。
例えば、韓国中部の松菊里遺跡の人たちが、直接四国の高知に来て弥生集落(田村遺跡)を営んでいた可能性があるという。
さらに、高知の仁淀川近くの居徳遺跡は東北や北陸の晩期縄文文化の影響を受けていて、遺物の状況から強い関りがあったようで、非常に興味深い。
弥生時代は、考古学的には、紀元前千年前後に北九州の板付飛行場・遠賀川周辺の板付遺跡(弥生時代末期の奴国に近い)や弥生時代末期の伊都国のあった糸島市周辺に韓半島からの渡来人が入り、水田稲作を始めたことが弥生時代の始まりとされている。(弥生時代開始時期については国立歴史民俗博物館が、最新の科学技術を駆使し2000年頃からに研究成果を発表し、2011年には歴博の弥生時代年代決定批判に反論する本「新 弥生時代」も出されていて、弥生時代の開始時期は定着しつつあるようだ。)
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