昨日午後から京都に向かう。
「JARFO」のレセプションに参加するためである。
京阪三条で降りて、三条通を東に急いで歩いた。
何とか、開会の5時に間に合った。
「JARFO」では、中村孝平展「有在 無在」が行われていた。
レセプションは、主催者の企画意図の説明があり、その後作家トークがあった。
パーティーに移る前に、不可視を可視化する作品に関して議論が巻き起こった。
「間あわいやや、気と作品・現代美術の見方や関係性に関しても議論が起きた。
作品から「気」が出ている事の証明として、不可視を可視化する作品が取り上げられた。
私もこの件に関しては、科学的な説明を加え、「気」とは無関係であることを伝えた。
その間、様々な意見が出て、面白かった。
その後パーティーに移り、飲みながら三々五々知り合いどおしが固まり談笑していた。
私は、JARFO関係者の3人以外は面識がなかったので、話の輪に入れなかった。
それと同時に、参加者の多くがそれなり地位の人達らしいと感じた。
たまたま、中村さんのグループのそばで飲んでいたら、今回の個展作家である中村孝平さんに、私の話の話題を取り上げていただき、そのグループの話の輪に加わった。
何人かの方から名刺をいただいたが、私は名刺を持っていなかったので、大変失礼なことをしたと悔やんでいる。
レセプションには、評論家の方も来ていたし、多くは美術大学の先生や有力作家も多かったようだ。
8時半にレセプションは終わり、二次会に行った。
畳の部屋で多分20名余りの人が来ていたと思う。
そのときには、既に顔見知りも出来ていて、レセプションでも皆かなり酒が入っていたので、いろいろ気軽に話をすることができた。
たまたま私と隣り合わせになった方は、来年国立国際で大規模な個展をするという。
二次会も、大いに盛り上がり、私もいろんな方とお話できた。
2次会はまだ続いていたが、終電の関係があるので先に失礼した。
2次会は、一人2千数百円の均等割りと初めから決めてあったので、私の均等割り分を精算して2次会を後にした。
2次会の会場は、先斗町近くにあったらしいが酔っていて余り覚えがない。
高瀬川沿いに歩き、多分三条大橋を渡り、京阪三条に行った。
ホームのベンチで特急電車を待っていてうっかに寝過ごし、その後の急行電車に乗ることになった
何とか京橋に着いたのは、12時半頃であった。
JR京橋駅に入り、ホームのベンチで電車を待っていても電車が来ないし、人影もまばらだ。
電光掲示板を見ると環状線の最終電車は終了と表示されていて驚いた。
仕方なく駅の改札を出るため、カードの処理で駅員の手を煩わし、京橋の駅前に出た。
泥酔状態の重い足を引きずりながら、怪しいやつに狙われないかと、気をもみながら、暗い夜道を千鳥足で自転車を置いているJR玉造駅まで、1時間半ほどかけて歩いた。
3時ごろやっと寝床に就いた。
今も疲れは抜けていない。
「JARFO」のレセプションに参加するためである。
京阪三条で降りて、三条通を東に急いで歩いた。
何とか、開会の5時に間に合った。
「JARFO」では、中村孝平展「有在 無在」が行われていた。
レセプションは、主催者の企画意図の説明があり、その後作家トークがあった。
パーティーに移る前に、不可視を可視化する作品に関して議論が巻き起こった。
「間あわいやや、気と作品・現代美術の見方や関係性に関しても議論が起きた。
作品から「気」が出ている事の証明として、不可視を可視化する作品が取り上げられた。
私もこの件に関しては、科学的な説明を加え、「気」とは無関係であることを伝えた。
その間、様々な意見が出て、面白かった。
その後パーティーに移り、飲みながら三々五々知り合いどおしが固まり談笑していた。
私は、JARFO関係者の3人以外は面識がなかったので、話の輪に入れなかった。
それと同時に、参加者の多くがそれなり地位の人達らしいと感じた。
たまたま、中村さんのグループのそばで飲んでいたら、今回の個展作家である中村孝平さんに、私の話の話題を取り上げていただき、そのグループの話の輪に加わった。
何人かの方から名刺をいただいたが、私は名刺を持っていなかったので、大変失礼なことをしたと悔やんでいる。
レセプションには、評論家の方も来ていたし、多くは美術大学の先生や有力作家も多かったようだ。
8時半にレセプションは終わり、二次会に行った。
畳の部屋で多分20名余りの人が来ていたと思う。
そのときには、既に顔見知りも出来ていて、レセプションでも皆かなり酒が入っていたので、いろいろ気軽に話をすることができた。
たまたま私と隣り合わせになった方は、来年国立国際で大規模な個展をするという。
二次会も、大いに盛り上がり、私もいろんな方とお話できた。
2次会はまだ続いていたが、終電の関係があるので先に失礼した。
2次会は、一人2千数百円の均等割りと初めから決めてあったので、私の均等割り分を精算して2次会を後にした。
2次会の会場は、先斗町近くにあったらしいが酔っていて余り覚えがない。
高瀬川沿いに歩き、多分三条大橋を渡り、京阪三条に行った。
ホームのベンチで特急電車を待っていてうっかに寝過ごし、その後の急行電車に乗ることになった
何とか京橋に着いたのは、12時半頃であった。
JR京橋駅に入り、ホームのベンチで電車を待っていても電車が来ないし、人影もまばらだ。
電光掲示板を見ると環状線の最終電車は終了と表示されていて驚いた。
仕方なく駅の改札を出るため、カードの処理で駅員の手を煩わし、京橋の駅前に出た。
泥酔状態の重い足を引きずりながら、怪しいやつに狙われないかと、気をもみながら、暗い夜道を千鳥足で自転車を置いているJR玉造駅まで、1時間半ほどかけて歩いた。
3時ごろやっと寝床に就いた。
今も疲れは抜けていない。
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