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メールの誤配信と情報社会

2011年12月21日 18時58分11秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
メールアドレスが勝手に置き換わり、自分の指定した人と違う人に送信されるというトラブルが広がっているようだ。

NHKニュースではこのニュースを次のように伝えている。
「NTTドコモのスマートフォン向けインターネット接続サービスで、20日、メールアドレスが勝手に別の人のものと置き換わるなどのトラブルが発生し、影響を受けた人は最大で10万人に上るとみられています。」

人間は、情報交換で生きているといって差し支えない。
日常会話から文字・アイコンタクト・身振・服装・ファッション。芸術全般まですべて情報交換のためのアイテムだ。

その中でも文字=記号情報は、現代文明を支える基礎でもある。
ITは文字=記号による情報交換技術に他ならない。

情報は、必ず送り手と受け手側がある。
送信元と受信元がきっちりと確認され情報が届けられることでコミュニケーションが成立し、ビジネスが成立する。

もし情報の配達先が違う人に行けば、情報の内容によれば大変なことになる。
だから大事な信書は郵便書留で送る。

現代では、少し重要な内容でも、メールで送る場合も多い。
その場合でも、あて先には間違いなく届くという信頼感を持っていた。

しかし今回の事態は、その常識や思い込みを根本的に覆らせた。
原子力以外にここでも想定外のことが起きたようだ。

今後も、このようなことが、たまに起こる可能性があるなら、重要なメールをやり取りする相手には対し、送る重要なメールには暗証技術を使って、間違って送信されても解読されないようにする必要があるかもしれない。
又大事な文書は送信後に電話で確認するという、笑い話のようなことをやらねばならないかもしれない。

メールの誤配信は、大量情報化社会の信頼性を根本から揺るがす問題だ。
同時に、メール以外にもアドレスはネット技術で使われていて、メールのみならずITシステムの信頼性にも絡んでくる要素を含んでいるのかもしれない。

もしサーバーの能力超過で起きるなら、今後もそのような事態に至る可能性はある。
サーバー能力が超過すれば補強すればよいという問題ではないだろう。
こういうことが、1回でも起きることがまずいのだ。
コンピュータでは、処理能力をオーバーするとフリーズするが、誤配信されるよりはフリーズしたほうがいいかもしれない。

しかしいまさら、人類はコンピュータ抜きの世界には戻れないだろう。
大量情報社会以前のアナログ世界に戻れないなら、今の技術の信頼性を、徹底的に高めるより道は無い。
関係者の技術開発の努力に期待するしかないのだろう。
(現実には、即は無理だが、人間は、電気すらなくても生きていける動物だと思っているが。)

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