思惟石

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『興亡の世界史 東インド会社とアジアの海』

2024-06-04 13:23:47 | 日記
『興亡の世界史 東インド会社とアジアの海』
羽田正

講談社創業100周年記念企画<興亡の世界史>シリーズ。
第3期の3冊目。

<興亡の世界史>は「王朝」に焦点を当てることが多いのですが、
まさかの「東インド会社」が主役です。
そこか〜!さすが…っ!

ところで私は、「東インド会社」=ひとつの組織
と、大変ざっくりした存在で認識していたのですが、
「イギリス東インド会社(EIC)」
「オランダ東インド会社(VOC)」
「フランス東インド会社」
という具合に各国に存在したわけです。

って、義務教育受けた人は大抵は知ってるんかな?
ぼーっと授業を受けてたのがバレますかね?
まあいいや。

そもそも「東インド」って、新大陸(西インド)との差別化で
言ってる感がありますが、要するにインド洋です。
むしろ「なんで西インド諸島がアメリカ大陸の東にあるんだよ!」
と、子供の頃に思っていました。
コロンブスのせい。

そんな東インド貿易の一番手は、ヴァスコ・ダ・ガマ率いる
ポルトガル。
アラビア商人のビジネスマナーを完全無視した
鬼畜の所業で販路を開きました。マナー悪い。
歴史を見ているとキリスト教徒って狭量で乱暴だなって思います。
あ、歴史の話しですよ。

ポルトガルの拠点は、ゴア(インド)、マラッカ(マレー半島南端)、
マカオ(中国)。

1580年代になるとスペイン王がポルトガル王を兼ねたり
スペイン無敵艦隊がイギリスに負けちゃったり、
本国が大変でポルトガルの影が薄くなり。

1601年、イギリス東インド会社
     拠点:マドラス(インド)
1602年、オランダ東インド会社
     拠点:バタヴィア(現ジャカルタ)、平戸、マラッカ
1664年、フランス東インド会社
と、各国、東インド会社貿易の時代へ。

おもしろかったのが、
日本のいわゆる「南蛮貿易」はポルトガルとの貿易
のイメージだったのだけれど。
実質は、ポルトガル船が居留地マカオと長崎を行き来して
中国産の生糸と日本の銀を交換するような貿易だったそうです。
「物」だけ見たら日中貿易だ。
当時リスボンから直接日本に来た船はないらしい。
天正遣欧少年使節もゴアとか立ち寄ってたよね)

覇権帝国の世界史』『茶の世界史』でも繰り返したけれど
15世紀〜17世紀にかけてのヨーロッパは貧しい。
インドや中国から輸入したいものはたくさんあるのに、
輸出できるものは全然ない。
(そして奴隷貿易やら帝国主義やらに流れる)

まあ、でも、でかい船と銃火器は持ってるんだよなあ。
(あと疫病と鉄鋼技術か)
というわけで東インド会社がインドや中国や日本を繋ぎつつ
利益を産んで本国へと金品を持ち帰るわけです。

この本のp367の一文が言い得て妙。

東インド会社の行動は、例えて言えば、ほとんど元手をかけずに
人の家から持ち出したお金を使って、本来足を踏み入れることのできない
はずの店の一流品を買い、それを自分の家に持ち帰って利用したり
売却して利益を得たりしていたということである。

いやもう、まったくその通りだわ。
この1行だけでも読む価値あると思う。
いや、一冊まるごと読んだ方が良いですけど。

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