思惟石

懈怠石のパスワード忘れたので改めて開設しました。

『読んでいない本について堂々と語る方法』

2024-06-14 15:50:19 | 日記
『読んでいない本について堂々と語る方法』
ピエール・バイヤール
大浦康介:訳

パリ大学教授による、
「本を読んでなくても会話できるよ」本。
なんだそれ。

中身としては、
古今東西の書評・小説・映画から
「本を媒介としたコミュニケーション」を例に挙げて、
様々な“読んでない”人とそのふるまいを分析している
やや心理学や哲学的な内容。
とはいえ、ちょっとふざけた感じの文体で
ライトに読めます。

あれだ。
森見登美彦の京大詭弁論学部だ。
様々な人間臭い「読んだふり」に対して、
よくまあこんなに深く考察できるものだなあ、という感じだ。
(ちゃんと感心しています)

ちなみに、有名(だけど読んでない人多いよね)本が多数取り上げられていて。
薔薇の名前』『第三の男』『ハムレット』『吾輩は猫である』...
これらを「読んだふり」できる手法が書かれているのかなあ、
お得!!と期待すると、それは微妙に間違いです。

これらの参照本は、どれも「読んでない本について語る」シーンがあって、
(「猫」の迷亭くんは架空の本の話で苦沙味先生をおちょくっている)
その周辺の登場人物の振る舞いを分析している、
という構成なのです。
決して、ポール・ヴァレリーの作風を
ひとことで言い表す便利なコトバが載っているわけではない。
ちぇ。

それはそれとして。
ポイントなのは、
誰かと会話する際に、議題である「本」を
読んでいる必要はない、ということです。

決して
「本を読むことそのものが必要ない」
と言ってるわけじゃないのです。
個人としての読書時間は大事。

あと、この作者、なんだかんだで結構読んでる。
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『興亡の世界史 シルクロードと唐帝国』 なんか怒ってるんだけど

2024-06-10 08:45:11 | 日記
『興亡の世界史 シルクロードと唐帝国』
森安孝夫

<興亡の世界史>シリーズなので
うっかり手にとったのですが。

序文の思想が強火すぎる〜。
先生、なんでそんなに怒ってんの?
そしてなんでそんなに序文長いの?

なんとか読み進めて本文へと辿り着いたぜ。
と思ったら、めちゃくちゃ文章がわかりにくい。
難易度高めの情報を怒りながら投げつけてくる感じです。

序文で「歴史の教師にこそ読ませたい!」と言っていたし、
私はお呼びではないんだな、、、

ということで140ページほどでギブです。

シルクロードやソグド人の歴史は知りたいので、
何か良い本はないだろうか。
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『教養としての建築入門』 建築学生は読むと良い!

2024-06-06 16:02:06 | 日記
『教養としての建築入門』坂牛卓

中公新書。
建築の始まりから、
東京オリンピックやコロナなども踏まえた
最新建築事情まで。

これは、建築学科に入学直後の私に読ませるべき!!!
2023年初版だけどな。

学生時代の私が読むべきは後半の
建築家としての姿勢ですね。
トライ&エラーを恐れずに検証を続ける根気強さや、
建築は一人では完成しないことを踏まえた
専門領域からクライアント意向から社会環境までの
多角的視点と、それぞれの意見をまとめる冷静さ。

うん、読んだところで自覚できたかわからないな。

まあ今更ですよ。
中年となった私が楽しんだのは建築の歴史や
思想の変遷だなあ。
ゴシックの後にルネサンスが来たるべくして来る感じとか。
モダニズムの後にはポストモダニズムになるとか。
歴史の再現性みたいなものもあって、面白いよね。

最古の建築書はローマの建築家ウィトルリウス『建築書』。
「用・強・美」という建築の三原理を提唱。
なんだか聞き覚えのなる名前だよなあと思ったら
ダ・ヴィンチの「ウィトルリウス的人体図」の人なんですね。

「機能」という言葉周りの主義主張もおもしろかった。
「形態は機能に従う」(アフォリズム)と主張した
ルネ・サリヴァンは、意外とデコラティブだったり。
(サリヴァンは機能主義者ではない)

一方、機能主義代表みたいなオットー・ワーグナーは
「実際的でないものは美しくない」と言っている。
言い切っちゃったよ、この人。
そして丹下健三は「美しいもののみ機能的である」と言う。
また言い切っちゃったよ。そういう論調、よくないよ!

あとカントによる「人間の自律性」から、
モダニズム建築の「形式主義」への流れ。
どうでも良いけどカントって何でもかんでも批判する。
疲れないのかな。

最後の「建築と経済」の項で、
建築が投資商品となるリート(REIT)の話から
作者のエピソードでドバイの高層ビルを
「あと数十メートル高くして。
高さランキング上げないと高値で売れないから」
というクライアントオーダーがツーンと沁みます。

何はともあれ良い本!
私的には星4.5くらいなのだけれど、
ブクログとアマゾンで評価が割れてるのは
なんでだろう。
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『興亡の世界史 東インド会社とアジアの海』

2024-06-04 13:23:47 | 日記
『興亡の世界史 東インド会社とアジアの海』
羽田正

講談社創業100周年記念企画<興亡の世界史>シリーズ。
第3期の3冊目。

<興亡の世界史>は「王朝」に焦点を当てることが多いのですが、
まさかの「東インド会社」が主役です。
そこか〜!さすが…っ!

ところで私は、「東インド会社」=ひとつの組織
と、大変ざっくりした存在で認識していたのですが、
「イギリス東インド会社(EIC)」
「オランダ東インド会社(VOC)」
「フランス東インド会社」
という具合に各国に存在したわけです。

って、義務教育受けた人は大抵は知ってるんかな?
ぼーっと授業を受けてたのがバレますかね?
まあいいや。

そもそも「東インド」って、新大陸(西インド)との差別化で
言ってる感がありますが、要するにインド洋です。
むしろ「なんで西インド諸島がアメリカ大陸の東にあるんだよ!」
と、子供の頃に思っていました。
コロンブスのせい。

そんな東インド貿易の一番手は、ヴァスコ・ダ・ガマ率いる
ポルトガル。
アラビア商人のビジネスマナーを完全無視した
鬼畜の所業で販路を開きました。マナー悪い。
歴史を見ているとキリスト教徒って狭量で乱暴だなって思います。
あ、歴史の話しですよ。

ポルトガルの拠点は、ゴア(インド)、マラッカ(マレー半島南端)、
マカオ(中国)。

1580年代になるとスペイン王がポルトガル王を兼ねたり
スペイン無敵艦隊がイギリスに負けちゃったり、
本国が大変でポルトガルの影が薄くなり。

1601年、イギリス東インド会社
     拠点:マドラス(インド)
1602年、オランダ東インド会社
     拠点:バタヴィア(現ジャカルタ)、平戸、マラッカ
1664年、フランス東インド会社
と、各国、東インド会社貿易の時代へ。

おもしろかったのが、
日本のいわゆる「南蛮貿易」はポルトガルとの貿易
のイメージだったのだけれど。
実質は、ポルトガル船が居留地マカオと長崎を行き来して
中国産の生糸と日本の銀を交換するような貿易だったそうです。
「物」だけ見たら日中貿易だ。
当時リスボンから直接日本に来た船はないらしい。
天正遣欧少年使節もゴアとか立ち寄ってたよね)

覇権帝国の世界史』『茶の世界史』でも繰り返したけれど
15世紀〜17世紀にかけてのヨーロッパは貧しい。
インドや中国から輸入したいものはたくさんあるのに、
輸出できるものは全然ない。
(そして奴隷貿易やら帝国主義やらに流れる)

まあ、でも、でかい船と銃火器は持ってるんだよなあ。
(あと疫病と鉄鋼技術か)
というわけで東インド会社がインドや中国や日本を繋ぎつつ
利益を産んで本国へと金品を持ち帰るわけです。

この本のp367の一文が言い得て妙。

東インド会社の行動は、例えて言えば、ほとんど元手をかけずに
人の家から持ち出したお金を使って、本来足を踏み入れることのできない
はずの店の一流品を買い、それを自分の家に持ち帰って利用したり
売却して利益を得たりしていたということである。

いやもう、まったくその通りだわ。
この1行だけでも読む価値あると思う。
いや、一冊まるごと読んだ方が良いですけど。
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