思惟石

懈怠石のパスワード忘れたので改めて開設しました。

『ボートの三人男』ジェローム・K・ジェローム

2017-11-27 14:34:17 | 日記
以前から読みたいと思っていた『ボートの三人男』
ようやく読みました。
個人的には珍しいことですが、書店で見初めた本です。

ふだんは書評とかで情報を仕入れてからアタリを付けるのですが、
ふと見かけたこの文庫、和田誠のイラストが表紙で、訳が丸谷才一。
これで駄作なわけがない!買いですよ!
ちなみにこれは2010年に改版された中公文庫版です。
1976年初版のカバー画は池田満寿夫も良い。

表紙裏のあらすじもいい感じです。

気鬱にとりつかれた三人の紳士が犬をお供に、
テムズ河をボートで漕ぎだした。
歴史を秘めた町や村、城や森をたどり、愉快で滑稽、
皮肉で珍妙な河の旅が続く。……

なんか楽しそう!
あ、原書であるイギリスでの初版は1889年です。
英国の滑稽小説の名作古典と言われており、
この作品へのオマージュ小説も多いのだとか。

(私は未読ですが、コニー・ウィリス『犬は勘定に入れません
 あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』が
 有名なオマージュ作品だそうです)

ところで、あらすじを読むと早速ボートを漕いでいそうですが、
このふざけた三人の紳士は、言うことすること全てがすっとぼけていて
語り手のJの話しもあちこちに飛ぶものだから
(おまけにツッコミはいない)
ボートに乗るまでに5章を費やしています。
読んでるこちらが心配になりましたよ。
この人たち、ちゃんとおでかけできるのかしらって。

古き良き時代のお話しではありますが、
当時のイギリスでは2週間もかけてテムズ河で遊ぶって
ふつうにあることだったのでしょうか。

日本だと2週間もボートに乗り続けるほどの
長い川がないからなあ…。
(もしくは私が知らないだけで、
日本にもそういう場所や風習はあるのだろうか)

しかも三人男+モンモランシー(フォックステリア)は
テムズ河の流れに逆行する道順をとったのです。
「河沿いをロープでボートを曳いて歩く」
という表現が頻出するのですが、そーいうもんなのか。
もちろん漕いだり、ちゃっかり曳航してもらったりもしてます。
結構、苛酷な旅のような気がするのですが、
彼らの旅はなんだか優雅で気持ち良さそうなんですよね。
英国紳士のレジャーである。って感じがする。
いいなあ。

最後の最後に、イギリスらしい暗鬱な天気がつづき、
ボートから逃走する感じも、彼ららしくて微笑ましい。

中公文庫の解説は井上ひさしなのですが、
昭和44年に訳者の丸谷才一が書いたあとがきが
「まことに有益な手引きである」と評して
豪快に引用してくださってます。
ありがたや。

それによると、『ボートの三人男』は元々は
滑稽小説のつもりではなく
「テムズ河の歴史的および地理的な展望の書として目論まれた」
という作品だったらしい。
確かに、そういう表現が多々見受けられるのですが、
私が英国史に疎いことと、とはいえ「J」の文章がふざけているため
歴史的うんちくなのか、高尚なジョークなのかわからん、という箇所も
そこそこありました。
それはそれで楽しめたからいいんですが。
(負け惜しみ)

余談ではありますが、訳者あとがき(の引用)には
三人男にはそれぞれモデルがいること、
ついでに犬のモンモランシーも実在すること、
モンモランシーが湯沸しと闘うエピソードも実話だということ
が、はっきり書かれているのですが。
Wikiには「犬は創作の産物であり、モデルはいない」って
すごく強気に書かれてます。
なぜ……?
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『火宅の人』檀一雄がうらやましい。

2017-11-24 17:59:09 | 日記
4年ほど前に、檀ふみ・阿川佐和子の名作エッセー
『ああ言えばこう食う』を読んで、
ふたりの上品でチャーミングな物言いと
お互いのくさし方の気持ちよさに、
ステキな人たちだなあと思って、憧れと羨望を抱きました。

(ちなみに、そのちょっと前に『スープ・オペラ』『変愛小説』を読むまで、
阿川佐和子と岸本佐知子を混同していたポンコツの私がいる)

この親友コンビ、性格や嗜好や思考がちぐはぐなんですが
芯の部分は似通っていて、本当に良い友人関係なんだなあと

そんな二人の大きな共通項が、「父が作家」であることです。

と言いつつ、私は阿川弘之も檀一雄も読んだことがなかった。

ついでに言うと、ふたりの娘さんの目を通じて語られる
作家であり父である姿が面白くもあり滑稽でもあり、
あと、ちょいちょい怖かったりもして。
ふつーの家に育った私にはうかがい知れない複雑な前半生も、
エッセーの魅力の大きな部分に感じられたのです。

要するにね、娘さん視点が面白いから、それを大事にしたいなと。
父の小説は読まなくていい。むしろ読まない。
思ってたんと違ったらイヤだから。というようなことを思ったわけですよ。

じゃあなんで読んだんだって話しですが。
積読だったんですよ。
私の中で娘応援ブームも落ち着いてきたし。

で、『火宅の人』です。
檀一雄が5人もこどものいる家庭をうっちゃって
愛人とあーだこーだする「最後の無頼派小説家」のセキララ私小説です。

なにやってんだよオッサン、というあらすじですが、
文章や構成がうまくて、読んでいて惹き込まれます。

檀一雄は口述筆記が多かったそうですが、
しゃべりながら表現も構成も同時に考えていたのでしょうか。
しかも酒飲みながら。
すごいな!

愛人との身動きできないような関係を
無駄に高尚に考察したり、開き直ったフリしてナイーブなこと言ったり
妙に豪快な行動に出たりユーモアたっぷりに自己批判したり、
「最後の無頼派」と言われている割に
なんというか、愛すべきすっとこどっこい感があって、
面白く読んでしまいます。
ついでに生きることに関して、結構考えさせてもくれます。

どうでもいい細部ですが、
上巻の途中で、自分に関する考察をしていて
太宰や安吾といっしょに、自分たちを蒲柳の質であると自覚し、
どうせ長生きしないだろうと無茶ばかりした
みたいなくだりがありまして。
その続きで、どうも蒲柳の質だったのは太宰と安吾だけで、
自分は勘違いだった。めちゃ頑丈な質だったようだ。
と言った結論に至るんです。マジメなトーンで。
(手元にないので、すごく適当です)
なんというか、読者のツッコミ待ちかな?
「お前以外全員が知ってたよ!」っていう。

そんな愛らしさ(?)が随所に溢れてて、
もうね、ホント、男として最低最悪ですが(奥さん偉い)
読んでるうちに価値観がぐるっと一周半くらいまわって
「生まれ変わったら檀一雄になりたい…」
というくらいの、妙な羨ましさが湧いてきます。
読んで良かった。
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「刑事マルティン・ベック」シリーズ第一弾『ロセアンナ』

2017-11-22 14:18:38 | 日記
1964年にスウェーデンで始まった
「刑事マルティン・ベック」シリーズの第一弾です。

日本で20年くらい前に出版されたものは、
原語ではなく英語版の日本語訳だったそうですが、
新装版としてスウェーデン語から直接訳したとのこと。

旧訳版は読んだことないのでどちらが良いとか言えませんが
今回の柳沢由美子氏訳は、とても読みやすくておススメ。
良い意味で時代を感じさせない読み口です。

このシリーズは、4作目の『笑う警官』が最も有名で
私もまずそちらを読んでしまったのですが、
新装版の刊行も『笑う警官』が先だったようです。
まあ、刊行順に読まないとまったく楽しめない
というシリーズではないので、問題なし!

というか『ロセアンナ』も『笑う警官』同様
刑事たちの地味~で地道~な捜査の積み重ねです。
大枠のスタイルは最初から確立していたのだな、と。
刑事一人ひとりの個性や多面的な捜査のアプローチは、
『笑う警官』の方が際立っていたと思いますが。

タイトルのロセアンナは、身元不明だった被害者の名前で。
名前がわかるまでも結構なページ数で、
そこから、どんな女性か、どういう行動をとるタイプか、
事件前後はどんな様子だったのか、
「ロセアンナ」という名前だけの存在に
刑事たちの地味~な捜査によって、
彼女の人となりがどんどん肉付けされていく過程が
なんとも惹き込まれます。

個人的には、スウェーデンの小説という括りでは
ラーソンの『ミレニアム三部作』よりはるかに高評価です。
(というかミレニアムの病的な女性蔑視表現を読んで
スウェーデン怖いいと思って引いていた)
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ループもののパイオニア『リプレイ』ケン・グリムウッド

2017-11-16 12:37:44 | 日記
SFやファンタジーによくありますね、「ループもの」。

元をただすと『ファウスト』にも見られるように
かなり古くからある設定らしいのですが、
1987年出版のケン・グリムウッド『リプレイ』の世界的ヒットが
「ループもの」設定が一般化したきっかけなのだとか。

この小説は、主人公のジェフが
1988年10月18日に43歳で死ぬところから始まり、
大学生から人生をやり直す。何度も。
というお話し。

ループの仕組みとか理屈付けはありません。
最近だと同設定作品の飽和からか、
そういう説明も求められがちですよね。
そこは先駆けの特権ということで。

1回目のリプレイでジェフがやったことは、
賭けや投資による財産づくりでした。
オリジナルの歴史にはない大企業をつくり、
ついでにケネディ暗殺も防ごうとする。
(何らかの力で防げないけれど)

ここらへんを読んでいるときに思ったのは、
外的な影響や変化を求める感じが男臭いなあ…ということ。

ジェフは、オリジナルの人生では夫婦仲も冷めている
うだつのあがらないラジオ番組ディレクター。

「違う人生をリスタートできるチャンス」
と捉えて、やることが、未来の記憶を活かしたお金づくり。
そこに努力とか学習とか成長とか無用なわけです。
大会社つくっても、自分の部屋で小説読んだりして時間を潰してるだけ。
で、折を見て投資の指示だしをする。

…楽しいのか?

以降のリプレイでは愛や心の平穏を求めたり
内的思索にふけったり、現状の打開に努めたり、
ループするごとにジェフが人として深まる過程が
この物語の軸でもあるんですが。

前半の「ジェフ君、そう生きるかあ…」という感じが
私との性別の違いなのか性格の違いなのかわかりませんが、
なんか酒飲んで絡んでやりたいわ、と思った次第。

3回目のリプレイでジェフは同じ境遇の女性パメラに出会います。
彼女はオリジナルで平凡な主婦として生き、
最初のリプレイでは「自分を変える」ことを目的として
勉強をやり直して女医になります。
その次に、何度も繰り返されると悟って勉強への意欲を削がれても、
芸術方面や自己表現に取り組んだりして
「自分」が「どう生きるか」を考えるというか。
読んでいて、私はこちらの姿勢に共感を覚えました。
(まあ、映画で民衆を啓蒙する、というのは
違うんじゃないかなと思ったけど)

もうひとつ小説を読んでいて考えさせられたのが、
前人生と同じ存在は得られるのか、ということ。
ジェフは1回目のリプレイで愛情のない結婚をしたのだけど、
そこで生まれた娘のことは溺愛していたんですね。
で、また43歳で死んで振り出しに戻るわけです。
その絶望は恐ろしいよなと思って震えました。

次の人生でも娘に会いたいと思ったらどうすればいいんだろう、
と、私は考えこんでしまったんです。

そのためには、前回の人生をすべて
なぞらなければいけないのかなと。
愛情を感じられない妻との出会いと結婚から
繰り返さなければならないのか。
もしかして、それ以前に付き合ったしょーもない女とも
もう一回付き合わなければならないのか、とか。
数十年という長い歳月を細心の注意を払って生きても、
たぶん、すべてが同一にはなり得ない。
生まれるこどもは女の子ではないかもしれない。
愛した娘そのものと完全に一致する人間ではないかもしれない。

そこまで考えたら、絶望でくらくらしました。

実際の小説では、ジェフは2回目のリプレイで
私の妄想とはまったく違う生き方を選ぶんですけどね。

お前とは気が合わないな!!!

というわけであまり共感できない性格のジェフ君でしたが、
人生を繰り返すということの苦悩や
それでもなお選択をして生きるということや
人との付き合い方や、ついでに10代の不自由さやら、
いろいろと面白く読みました。

「よくある設定」と言いつつ、
あまりファンタジーものを読まないので
新鮮だったのかもしれないけど。
良い読書時間でした。
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