思惟石

懈怠石のパスワード忘れたので改めて開設しました。

双頭のバビロン

2017-04-26 13:27:52 | 日記
読んでみたいと思いつつ、
ページ数で敬遠したままだった
皆川博子『双頭のバビロン』を読了しました。

豪華絢爛で、1900年代初頭の
ウィーンやらハリウッドやら上海やらの描写が細かくて
(特に上海の猥雑さというか、臭気というかがリアル)
すいすいっと面白く読めました。

物語は、オーストリア貴族の家に生まれた癒着性双生児が
手術によって分離され、まったく別の人生を歩みつつも
互いの運命が錯そうし…

的な、話し。

以下、ネタバレっぽい感想です。

話者が章ごとに変わりますが、
双子のゲオルクとユリアンだけでなく
パウルという主要登場人物ではなさそうな少年がいて、
「物語にどう関わってくるの?」という良いエッセンスでした。

舞台や時制が飛ぶので、
背景を脳内で整理するのが大変でしたが、
その複雑さも面白さになっていました。

パウルの師匠がエンリコで、ってとこも
「お、成長したな!」なんて。

ウィーンで貴族で双子で、っていうと
佐藤亜紀の『バルタザールの遍歴』を思い出しましたが
あちらはひとつの身体にふたつの魂、ですよね。
双子の密着感がすごい。
右手と左手でケンカするくらい、不可分。

一方こちらは早々に離ればなれになっており、
成長過程における交流もほぼ無し。

というわけで、私は
クライマックスでふたつの人生が交錯するのね!
と思ってましたが、そんな単純な話しではないんですね。

双子の精神感応とか自動書記とかあるけど、
それはそれとして。
本筋はむしろ、ユリアンとツヴェンゲルの絆の強さを
ゲオルクが傍観する物語でしたね。

まあ、むべなるかな。

幼い頃に存在を抹殺されたユリアンは
「非在の存在」という意識が大きくて
ものすごく自分というものは何かと苦悩して
ゲオルクに嫉妬したり養父を憎んだり、そんな感情にまた悩んだりと、
相当に思春期をこじらせています。
めんどくさいヤツなんです。

こういうめんどくさいヤツほど、
自分の幸せや、注がれる愛情に気づかないんですよね。
ぜいたくなヤツなんです。

そこが物語の面白みでもあるんですけどね。

「生きる」ということに対しての
ゲオルクの器用さと強運に対して
ユリアンの不器用さ(エンリコの家に何年いたんだよ)は
ホントに双子か?と思いますが。

ヴァルターが選んだのが、もしも逆だったら。
グリースバッハ家に残ったのが逆だったら。
どんな物語になってたんでしょう。
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『高丘親王航海記』とは関係ない考察

2017-04-24 11:13:20 | 日記
初読だと思った本が
「この話し、読んだことあるかも…?」
という経験ありませんか。

私はあります。
そこそこの頻度で。
ちなみに「国盗り物語」も立ち読みして気づきましたが、
私、信長編は読んでいました。
うわあ。

という感じで、私の脳みそのヤツめが
全く信用できない仕事しかしないので
読書メモをとるようにしているわけです。

しかし、記録が見当たらないこともしばしば。

ちょっと前に読んだ『高丘親王航海記』(澁澤龍彦)も
読んだことが在る気がしてならなかったのですが、
読書メモに記録がないのです。

さて、私の信用ならん脳みそめが、
タカノ綾の初期作品集『Hot banana fudge』に
『高丘親王航海記』をモチーフにしたドローイングが
収録されていたと主張しています。

そういえば、身体が鳥のオンナたちの画が印象的だったような。
それで『高丘親王航海記』の存在を知り、興味を持ったのでした。
画集の発売が2000年ということは、
小説を読んだとしたらそれ以降のはずね。

さらに、私は『安徳天皇漂海記』(宇月原 晴明)を
読んだ際にも「やはり高丘親王を読んでおかねば」と思ったのです。

私の読書メモは2006年から始まっています。
「安徳天皇」の記録が2007年。
その後、順当に読んでいれば記録に残っているはずですが、
メモにないのです。

おかしいなあ。

前世で読んでいたか、
生き別れの双子の記憶が転送されたのかもしれません。

しかし私の脳みその普段の仕事っぷりから推察するに、
もうひとつの説があります。

「安徳天皇」を読む前に
「高丘親王」を読んでいた可能性です。
そして忘れていたと。

うわあ。
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御手洗シリーズいくつか

2017-04-17 16:52:27 | 日記
島田荘司という作家の本を初めて読んだのは、
(毎度おなじみルートですが)
会社の本棚で拾った「ネジ式ザゼツキー」でした。
時は2008年。今から9年前ですね。
(と、読書メモにある。メモ便利!)

なんとなく手に取って読み始めたので、
ミステリなのか文学なのかエンタメなのか
ジャンルも良く知らないまま読み始めたのですが
面白く読んだ記憶があります。

ストーリーや作中にちらばる薀蓄も楽しかったですが、
とにかく長い作中作や、出番が少ない探偵などが、
なんというか、新鮮で、印象的でした。

その後、本格ミステリの大御所だと知り、
他の作品も読んでみようと思いつつ。
例のごとく、あっちにフラフラこっちにフラフラ。
次に読んだのはなんと5年後。
うーん、我ながら適当。

とはいえ、島田荘司を読もう!と思って
下調べをしてから本を手に取ったので、
準備は万全です。
名作の名高いデビュー作「占星術殺人事件」を読みましたよ。
タイトルとか表紙のデザインとかが
ちょっと時代を感じるなーってセンスなので
電車でカバーをかけて読みましたけどね、
面白かった!
すごい!
名作!

しかし!
私は、金田〇少年世代なのです…。
途中で気づいてしまったのです。
これが悪名高い、金〇一少年がまるパクリしたという
元ネタの名作だったのかと…。

とはいえね、トリックを知っていたとしても、名作でした。
そこが作品の魅力そのもの、というわけではないですし。
(〇田一許すまじ…!とは思いましたけど)

その後、時を開けずに御手洗シリーズの長編作品
「斜め屋敷の犯罪 改訂完全版 」と
「異邦の騎士」を読みました。

短編集も読んではいましたが、
長編の方が面白いなと。
御手洗は主人公の割に出番が少ないけれど、
それが丁度いいなと、思っています。

作者もどこかで
「天才型の探偵なので、登場した瞬間に話しが終わる」
的なことを言っていた記憶があり、
まったくもって同意した次第です。
(斜め屋敷のあとがきかだったかな)

そんな土台が私の中にあり、
今回、久しぶりに御手洗シリーズの長編を読んだ次第です。
先年映画化もされた「星籠(せいろ)の海」です。

それなりに面白かったですが、
なんというかね、
御手洗、出過ぎ!と。

久しぶりの長編だからでしょうか、ファンサービスか?
という日常のライトな会話が多く、
あなた、そういうキャラではないでしょうが。
ちょっと黙るか奇行に走るか舞台裏に引っ込むかしてなさい!
と言いたくなりました。

チャプター2が始まったときは、
正直、ちょっとホッとしましたよ。

読了後に調べて腑に落ちたのですが、
どうも映画化が前提にあった書き下ろしだったようです。

そりゃ、主人公をコンスタントに出さねば
タレント的にも興行的にも問題ですよね。
うん、納得。

いやいや、納得したのは事情だけですけどね。

村上水軍の話しは
和田竜「村上海賊の娘」で仕入れた知識が
理解するのに役立って、楽しめました。
比較するには畑違いな作品ですが、
歴史上のファクトとしての部分でね。

たくさん風呂敷広げて、ちゃんと回収する感じも良かったです。

とはいえ、私にとっての御手洗シリーズの印象を形成しているのは
「ネジ式」「占星術」「斜め屋敷」なわけで、
正直な読後感というと、
「そうだ、次は『アトポス』と『眩暈』を読もう!(予習済み)」
です。
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本にだって雄と雌があります その2

2017-04-12 13:40:29 | 日記
しつこくてすみません。

表題のこの本、図書館で借りて読んだのです。
2012年発行の単行本。
初版かと思われます。

で、読了後、
他の人の感想も知りたいなと
いつも通り他人様の書評ブログを回遊していたのですが。

某ブログで最後の最後のほんのちょっと手前の
「私」と妻の会話が引用されていたんです。

それが、私が読んだ文章と違ったのです。

そちらのブログでリンクを貼られていたのが
2015年発売の文庫版だったので、
初版から文庫版になる際に加筆修正されたのかもしれません。

いや、別にいいじゃん?って思いますよね。
加筆修正。
私もいいじゃん別に、って思ってます。

それがね、たまたまね、
読了した際に、ちょっとだけ、違和感を抱いたとこだったのです。
最後のセリフはかぎかっこトルとかで
地の文にしたら良かったんじゃないかな、とか思ったのです。

そうしたら、文庫版では、地の文の補足というか
一行が加わっているらしきことが、その引用から伺えて。

あ、本って成長したり変化したりするのね。
そりゃこどもも生まれるわな。
と、じんわりした感動というか、
なんとなく不思議な感慨を覚えたというか。

本には雄と雌がありますね。
やっぱりな!
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本にだって雄と雌があります

2017-04-10 14:36:04 | 日記
どうせ予告した本ではないものを読むのだろう、と
自分でも半ば確信してましたが、案の定です。

まったく違うジャンルに跳びました。
小田雅久仁「本にだって雄と雌があります」

これね、面白いですよ!
今のところ2017ベストです!まだあと半分残っているけど。

基本の体裁は、話者である「私」(土井博)が
まだ幼い息子に向けて綴る手記です。
話しの主旨は、「私」の祖父(深井與次郎)を中心にした
一族の物語。
もしくは本と本の間に生まれる「幻書」にまつわる物語。

前半は、結構、断片的というか
テーマがあちこちに飛ぶというか。
これ、どういう話し?と少々不安になりますが
NO.19.5からの怒涛の生と死と家族と人間と本の物語。

と言ってもなんのことかさっぱりな感じですが、
しっかりと筋の通った壮大な物語です。
泣けます。

あと、笑えます。

時系列が飛んだり作中作が引用されたりと忙しいですが、
ひとつひとつの文章やエピソードが
軽やかというかすっとぼけてるというか。
心地いいんです。

と、説明してもやっぱりうまく表現できないところが
プロの文章といいますか。
もうね、引用するしかないですよね。
(ブログでの引用ってどうやったらいいのか不安になり
 ちょっと検索してしまいました)

冒頭の一文からして良い。

『あんまり知られてはおらんが、書物にも雄と雌がある』

語り手の「私」は文筆業の人間ではないから、と言いつつ、
やっぱり良い。
ちょっと長いですが、引用します。

『しかし恵太郎よ、安心してほしい。お父さんがこうやって部屋に籠もり、この手記を書いていても、愛するお母さんが突然ドアを開けて入ってくることはない。「鶴になって自分の羽を毟り毟り機を織るから絶対に開けないでね」とよくよく頼みこんであるのだ。というのはもちろん嘘で、学生運動華やかなりし時代に覚えた手習い、鉄壁のバリケードをドア内に築いているのだ。というのもやっぱり嘘で、本当のところはアルカトラズのコンクリートに穴を掘るみたいにいつもびくびくしながらこれを書いているのだ。全然安心できない。安心したい』

文章も良いですが、登場人物も良い。
「私」の妻は、新進気鋭の書評家で、引用すると
『筆先より毒汁滴る書きっぷりであまねく知れわたる気鋭の書評家』であり
それでも書評には本来の毒を希釈しているそうで、
彼女が本気を出したら「地球上から文学が絶滅する」そうである。
お母さん、かっこいい。

與次郎のライバル鶴山釈苦利(しゃっくり)も良い。
百年しゃっくりでうなじが大好きで綽名は伯爵って、
その設定必要かってところが
いい感じに不可欠な効果を醸し出してて、とても良い。

そういえば、アリストテレスと緒方洪庵はともかく
黒川宏右衛門とアントニオ・パニッツィにいたっては
さすがにフィクションだろと思ったら、
実在していたんですね。パニッツィ。
(宏右衛門はさすがのさすがに創作っぽい)

前半戦のふろしき広げまくりマニアックフェーズで
躓く人もいるかもしれませんが、
大丈夫、きちんと畳まれます。

少しずつ噛みしめるように味わいたい良作もありますが、
本書は、えいやっと一気に読んでほしい良作。
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