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『日本の近代建築 下: 大正・昭和篇』藤森照信

2024-07-08 15:48:12 | 日記
『日本の近代建築 下: 大正・昭和篇』藤森照信

そんなこんなで下巻です。
大正・昭和になり、
国内の建築家が育ち始めます。

ざっくり言うと
歴史主義派と、
歴史主義から脱却した派に分かれます。

脱却派はさらにいろんな主義に別れる。
表現派とかモダニズムとかバラック装飾社(MAVO)とか。

モダンデザイン変遷は以下。
19世紀末:アール・ヌーヴォー(植物的、官能性)
→10年代:キュビズム、初期表現派(鉱物性)
→20年代:バウハウス(白と直角、幾何学)
→デ・スティル、コルビュジェ(ピューリスム、コンクリ打ち放し)
→ミース(ガラスと鉱物の均質空間)

個人的には横河民輔(1864-1945)が好きですね。
まだ歴史主義全盛の時代の辰野門下で、
卒業設計は官公庁や金融系の象徴的な大建築を扱うものなのに
「町屋」をテーマにして辰野先生を絶句させたそうです。
かっこよ。

卒業後に渡米して鉄骨技術を学んだことで
地震大国日本に鉄骨造建築をいち早く導入。
元々がエンジニア気質&実業家らしく、
エレベーターや空調のために横河電機研究所、
鉄骨橋梁を専門とする横河ブリッジ、
家具用の人造皮革を開発する横河化学研究所など
創業しまくった人。
そして本職の建築デザインには特に興味がないので
逆に優秀な建築デザイナーが事務所で育ったそうです。
かっこよ!

あと小ネタですが。
関東大震災(1923)によって耐震性に優れた
鉄骨造・鉄筋コンクリート造が普及します。
鉄骨造だと火災で鉄が溶けることもあり、
鉄筋コンクリートの方が評価は高かったそうで。
コンクリでできた壁や橋を「万年壁」「万年橋」と呼ぶのは
耐久性への期待感からだそうです。

「文化包丁」「電気ブラン」みたいなネーミングで、好き。

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