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『日本の建築』 隈研吾の建築論と、「ぼく」話し

2024-06-21 10:41:33 | 日記
『日本の建築』隈研吾

超絶有名建築家の最近の本ですね。
岩波新書、2023年初版。
執筆8年だそうなので、
61歳から69歳にかけての建築論となります。

タイトルのイメージから、古代とか中世あたりから
話しが始まるかと思ったけど、近代建築史の本だった。
初期モダニズム建築リーダーのブルーノ・タウト来日から
始まります(1933年)。

建築学科を出た人間にとっては、
タウトと言えば桂離宮。
桂離宮と言えばタウト。
(そういえば観に行ったことないな…)

ちなみにタウトはモダニズム建築代表の
ミースとコルビュジェのことを
フォルマリズム(形態主義)と言って批判していた人。
フォルム(建築のカタチ)優先で
場所と建築を「繋ぐ」ことをおろそかにしている、という批判。
モダニズムは「切断主義」だとも言っている。

確かに、サヴォワ邸やバルセロナパヴィリオンは
「庭付き一戸建て」じゃないよな。住みたくない。
どこにでもポコっと移築できそうだし。

あとは、建築って何かと二項対立するよね、という話しが
とてもおもしろい。

タウトの、桂離宮(雅!)vs日光東照宮(キッチュ!)。
これは王朝文化vs武家社会でもある。
関西vs関東とか、ヨーロッパ的なるものvs日本的なるものとか。
他に、縄文vs弥生論争とかあるんだけど、
私的にはどっちがどっちやねん、です笑
藤森照信先生の縄文建築ファンではあるけれど、
こういう二項対立の話しではなかった気がするので
私も「縄文派」とは言いたくないな。
建築の思想的な話し、なにかと「どっち?」って選ばせるムーブ、
やめた方がいい。

とはいえ、二項対立あるあるで言ったら、
私は猫派でありたけのこ派である(断言)。

学生時代はあまり流派とか建築スタイルとかよくわからなくて
(今もよくわかってない)、
でもなんとなく伊藤忠太と藤井厚二(聴竹居)は好きだったので
二人が師弟だったという話しは良かった。

あと清家清の「私の家」が好きなんですが。

そういえば、この本の後半ではレーモンド自邸の複製
(パトロンである井上房一郎邸)が紹介されています。
小さな家が二棟に分かれていて、真ん中にパティオがある。
屋根はあるけど、壁はない。
風通しの良いほぼ「外」空間。
ビビッときた。
この空間が好きだ。

私は多分、半外空間が好きなんだな。
バルコニーは違うんだ。どちらかというと土間の方が近い。
「私の家」の土間も良いけど、移動畳が最高に良い。
実家の縁側も好きだった(猫もいたし)。
良い歳にして自分の好みがようやく理解できたぜ。
マンション暮らしだけど。

あ、あと団地も好きなんだ。
51Cはほんと、好き。
田の字プランも好き。
都営団地に住んでみたい(風呂はベランダにつくる)。

という感じで、戦前戦後を通じての日本の近代建築史を
概観したあと、隈先生は「ぼく」の建築話しで本をまとめます。
めっちゃ有名な建築家だと思っていたけれど
大型建築の発注がない10年間(90年代)とかあったんだなあ。
と、いきなり等身大の話しにしみじみする。
うまいこと本を畳んだなっとも思ったけれど。

でも良い勉強になる本。
名建築巡りにでかけたくなりました。
(そういえば隈研吾設計の富山のガラス美術館は
吹き抜けから見る断面が良かった。
構造に関係ないルーバー(固定)は意味が気になった)

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