私が色々な農産物や農産加工品と付き合いだしたのは社会人になってからです。今までこのブログで紹介したのと重複する部分があると思いますので、少し整理してみます。
私が社会人になって最初に勤務したのは、商社の神戸支店でした。
店は、神戸港に面した、外壁が石造りの古い4階建てのビル(当時はエアコンなどの設備はありませんでした)の最上階の一室にあり、30名ほどの社員が居て、営業が2課と総務課があり、私が配属されたのは「食糧課」でした。
当時の食糧課の主力商品は、ネスカフェ製品や各種食品類でしたが、私が担当したのは輸出入で主な商品は当初は何と樟脳や蚊取り線香などでした。
“食糧課なのに、何でこんな商品を?”と当初は不思議でしたが、理由は簡単。
当時日本はまだ農産物の輸出が多く、主な農産物や農産加工品の輸出には「日本農産物輸出組合」の承認が必要で、この組合が神戸市内にあったので、食糧課がその窓口になっていたという次第です。
そういうわけで、会社としても非常にマイナーな商品ですが、私にとっては後に繋がる色々な農産物や加工品との出会いがありました。
この内、樟脳と蚊取り線香、コンニャク、トウガラシなどについては、以前に詳しく述べましたので、これ以外の神戸支店の食糧課勤務中に出会った農産物や加工品などについて記します。
<農産物>
最近は、日本食ブームと食の安全性ということが評価され、日本産農水産物の輸出が非常に好調な様で、喜ばしい限りです。まだごく一部とは言え、日本産農水産物がこのような輸出競争力を持てるようになるなど、農家の方々や関係者のご努力には本当に頭が下がる思いです。
私が会社勤めを始めた1964年(昭和39)は日本の経済成長の真っ最中で重工業へのシフトに拍車が掛っていて、農産物の市場開放などもあり、色々な新商品の輸入を検討していましたが、どちらかと言えば日本はまだ農業主体の国で、農産物についてはまだ少しは輸出をしていました。
その中で、特に印象に残っているのがタマネギ、スイカとグレープフルーツなどの柑橘類です。
1)タマネギ
この商品は非常に面白く、収穫時期が淡路/泉州では春、北海道では秋なので、丁度冬場が端境期になり、価格が上がります。
この時期に、収穫時期の早い台湾や、時にはオーストラリアから輸入していましたが、オーストラリアとは全く季節が違うために、夏場(オーストリラリアの冬)には逆に日本から同国に輸出したりと、「貿易」の仕組みが体験できる商品でした。
ある年にオーストラリアに輸出した玉ねぎが途中で腐ってしまう事故があり、その船が日本に帰港した時に船に乗り込み、航海日誌で公開中の換気が不十分だったこと確認し、船会社の管理不足ということで保険で損失をカバーした記憶もあります。
2)スイカ
夏場に香港などに輸出されていました。
当時は、まだコンテナーなどと言う便利な物はなく、神戸中央市場の裏で艀にスイカを積み込んで、港に停泊中の船に積み替えるのですが、箱などの容器には入っておらず裸のままで積み込まれるため、艀に積み込む際には、数人の手渡しリレーで運びました。
当然手渡しが失敗して割れることもありました。まして時期は真夏の暑い最中、時には不自然に割れることもありましたね。
3)グレープフルーツの輸入
丁度輸入自由化されたばかりで、アメリカからの輸入に参加しましたが、グレープフルーツなどは見たことはなく、ましてどうして食べるのかなど全く判らない人が殆どのために、専用のギザギザのあるスプーンを用意したり、食べ方の説明文なども作った記憶があります。(まさ)
私が社会人になって最初に勤務したのは、商社の神戸支店でした。
店は、神戸港に面した、外壁が石造りの古い4階建てのビル(当時はエアコンなどの設備はありませんでした)の最上階の一室にあり、30名ほどの社員が居て、営業が2課と総務課があり、私が配属されたのは「食糧課」でした。
当時の食糧課の主力商品は、ネスカフェ製品や各種食品類でしたが、私が担当したのは輸出入で主な商品は当初は何と樟脳や蚊取り線香などでした。
“食糧課なのに、何でこんな商品を?”と当初は不思議でしたが、理由は簡単。
当時日本はまだ農産物の輸出が多く、主な農産物や農産加工品の輸出には「日本農産物輸出組合」の承認が必要で、この組合が神戸市内にあったので、食糧課がその窓口になっていたという次第です。
そういうわけで、会社としても非常にマイナーな商品ですが、私にとっては後に繋がる色々な農産物や加工品との出会いがありました。
この内、樟脳と蚊取り線香、コンニャク、トウガラシなどについては、以前に詳しく述べましたので、これ以外の神戸支店の食糧課勤務中に出会った農産物や加工品などについて記します。
<農産物>
最近は、日本食ブームと食の安全性ということが評価され、日本産農水産物の輸出が非常に好調な様で、喜ばしい限りです。まだごく一部とは言え、日本産農水産物がこのような輸出競争力を持てるようになるなど、農家の方々や関係者のご努力には本当に頭が下がる思いです。
私が会社勤めを始めた1964年(昭和39)は日本の経済成長の真っ最中で重工業へのシフトに拍車が掛っていて、農産物の市場開放などもあり、色々な新商品の輸入を検討していましたが、どちらかと言えば日本はまだ農業主体の国で、農産物についてはまだ少しは輸出をしていました。
その中で、特に印象に残っているのがタマネギ、スイカとグレープフルーツなどの柑橘類です。
1)タマネギ
この商品は非常に面白く、収穫時期が淡路/泉州では春、北海道では秋なので、丁度冬場が端境期になり、価格が上がります。
この時期に、収穫時期の早い台湾や、時にはオーストラリアから輸入していましたが、オーストラリアとは全く季節が違うために、夏場(オーストリラリアの冬)には逆に日本から同国に輸出したりと、「貿易」の仕組みが体験できる商品でした。
ある年にオーストラリアに輸出した玉ねぎが途中で腐ってしまう事故があり、その船が日本に帰港した時に船に乗り込み、航海日誌で公開中の換気が不十分だったこと確認し、船会社の管理不足ということで保険で損失をカバーした記憶もあります。
2)スイカ
夏場に香港などに輸出されていました。
当時は、まだコンテナーなどと言う便利な物はなく、神戸中央市場の裏で艀にスイカを積み込んで、港に停泊中の船に積み替えるのですが、箱などの容器には入っておらず裸のままで積み込まれるため、艀に積み込む際には、数人の手渡しリレーで運びました。
当然手渡しが失敗して割れることもありました。まして時期は真夏の暑い最中、時には不自然に割れることもありましたね。
3)グレープフルーツの輸入
丁度輸入自由化されたばかりで、アメリカからの輸入に参加しましたが、グレープフルーツなどは見たことはなく、ましてどうして食べるのかなど全く判らない人が殆どのために、専用のギザギザのあるスプーンを用意したり、食べ方の説明文なども作った記憶があります。(まさ)