鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-神島から佐久島まで-その4

2015-04-28 05:59:19 | Weblog
「佐久島体験マップ」によれば、佐久島の歴史は古く、浸食によって失われた石垣(しがけ)の地層からは、かつて縄文土器の破片が発見されているという。また弥生時代のものとしては3ヶ所の貝塚が見つかり、1世紀から3世紀にかけて作られたさまざまな様式の弥生式土器も出土しているとのこと。海を生活の場とした海部族の末裔たちによって、江戸時代には海運業で繁栄した、とも。文献の中に初めて佐久島の名前が現れたのは、7世紀後半の藤原京時代。藤原京跡から、土地の産物を献上した際の荷札に、「佐久嶋」と書かれた木簡が出土したといい、また奈良時代の平城京跡から出土した木簡には「析島」(さくしま)の名が見つかっているとのこと。島名の由来としては、崇神天皇の頃(前1世紀)、伊勢の斎宮の郷に作彦という臣がいて、伊勢志摩の島を見回る折に島を訪れ、その景勝を大いに気に入って移り住み、農業を始めたことから「作島」と呼ばれるようになったと伝えられる、とありました。縄文時代の昔から人々が住みついた島であり、豊富な魚貝類と美しい景観に恵まれた島であったようです。 . . . 本文を読む