鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-神島-その3

2015-04-15 06:31:25 | Weblog
崋山の「神島、船ヲアグル図」を子細に検討してみたい。この絵を私は神島の漁師が漁を終えて船で浜辺に帰ってきたのを、島の女性たちが船を浜に引き上げたり、網に入っている漁獲物を船から浜に上げるのを手伝っている様子を描いたものと思い込んでいましたが、実はそうではなく、崋山たちを運んできた伊良湖浜の漁船(小型帆船で帆はすでに下ろしている)を、磯辺でアワビ捕りをしていた島の女(海女)たちが、浜辺に着岸したその漁船を打ち寄せる波で動かないようにおさえている情景を描いたものだと判断しました。荷物を両脇に抱えて立っていて、今まさに船から浜に下りようとしている日焼けした男は、崋山たちを伊良湖浜から運んできた漁船の3人の船乗りたちの一人であり、その両脇に抱えた荷物は、崋山一行(特に供人)が田原から背負ってきた旅の荷物であるでしょう(魚でもなく、魚が入った網でもない)。崋山によると、沖合いの揺れ動く船から一人の船乗りが綱を持って浜に泳ぎ着き、その綱を力を限りに引っ張って船を引き寄せようとしていると、島の女たちが何人も群れ集まってきて、一緒に綱を持って船を引き寄せてくれたのです。船が着岸すると、船乗りは崋山らを背負って小高い岩の上におろし、それから荷物などを船から運んで、それが終わるとすぐに船に乗り込んだのです。小高い岩の上から、崋山は白い腰巻ばかりを身に付けた島の女たちが、押し寄せる波にずぶ濡れになりながら、着岸した船が動かないように、そして荷物を持った船乗りがふらつかないように、力いっぱい船の舳先の方や舷側を押さえている姿を感動しながら眺め、そして活写したのです。今なら、その情景を見てカメラのシャッターを切るようなもの。崋山は女たちは「老少を分かたず」髪を「江戸にいふところの島田(=島田まげ)」にしており、髪に飾りを付けていないと記しています。なぜなら、島の女たちは皆あわびや海草をとるために海に入るからだ、と説明しています。実際、「神島、船ヲアグル図」に描かれた5人の女性は、2人が島田まげをしており、あと3人は島田まげを外して伸ばした状態(ポニーテール状)にしています。布紐で結んでおり、飾り(かんざし等)は付けていません。海に潜る時は、まげの元結を外して長い髪をざんばらにした状態で、大きく息を吸って頭から勢いよく入っていったのでしょう。 . . . 本文を読む