鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-神島から佐久島まで-その3

2015-04-27 05:47:00 | Weblog
すでに触れたように、崋山は佐久島においての見聞の様子を、神島のように日記に詳しくまとめてはいません。しかし佐久島へ渡ったことは確かであり、さまざまなことを見聞し、情報をいろいろと集めているはずです。それらはメモ書きとして箇条書きのように記されているわけですが、それらがどういう内容であるのかをまず確かめてみたい。〇人数三千、千石五百衛門頭、これハ佐久の島の事。〇大船十四五艘、いさハ二十艘、五百上通三枚梶有。〇懸宮ノ鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、此島立初之社。〇八釼(はちけん)の宮、神主長太夫。〇宗(崇)運寺、浄土深草派、三州中島宗(崇)福寺末、中興開山融山伝済大和尚、宗(崇)福寺第四世、天文元年寂。〇阿弥陀寺、慧寒梅玉和尚、五年前寂。〇正念寺、塩神祖コノハタノ故事。〇妙海寺。〇松林寺。〇影向庵宗(崇)運寺所末。以上が崋山が佐久島について記すメモ書きのおそらくすべて。ではスケッチはどうかというと、①村落風景②佐久島風景(弁才船が描かれる)③海岸風景④島のようなものが描かれた海岸風景⑤階段状の岩場が描かれた海岸風景⑤お寺らしき建物と小型帆船が描かれた海岸風景⑥岬と岬先端の岩礁を湾越しに描いたもの⑦集落内の道筋の風景。以上7枚が佐久島で崋山が描いたスケッチであると私は推定してます。以上のメモ書きの記述とスケッチをおさえた上で、佐久島一周の海岸沿いのハイキングルートを、西港から時計と反対回りに歩いていきました。 . . . 本文を読む