鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-伊良湖岬から神島まで-その最終回

2015-04-12 03:47:35 | Weblog
崋山は『参海雑志』に船の種類の名前として、「大船」、「いさハ」、「テントウ」などを記しています。船の絵としては、伊良湖浜から神島へと渡った、「小山ノはな」および「神島渡海」に描かれた六反帆ほどの漁船、「畠村螺ヲ捕ル」に描かれた、魚介類を獲るための「畠村」の漁船、佐久島と思われる浜の沖合に浮かぶ「弁才船」などを描いています。船子や漁師から聞いたと思われる風の名前についても詳しく記しています。「南風まぜ、辰巳風イナサ、東風コチ、西ハ西風、北よりハ北風、東北ならひの大ナルモ(ノ)ヲベットウ」。「大船」は「弁才船」のことであり、「いさハ」は「いさば船」のこと、「テントウ」は「天当船」のこと。「弁才船」は一般に200石以上の「大廻し」(長距離航海)に使われた船で、大型のものは「千石船」という場合もある。「いさば船」は200石以下の小弁才船で、「小廻し(中・短距離航海)に使われた船であり、全国津々浦々の廻船はほとんどが「小廻し」の廻船でした。「小廻し」の廻船を「いさば船」と総称していたという説もあります。「天当船」は、大型漁船や大型運搬船のことで、「弁才船」を「天当船」という場合もあるようです。崋山が描く帆のない小型漁船は、猪牙船(ちょきぶね)と呼ばれるものと思われます。三河湾や伊勢湾には「尾州廻船」と呼ばれる「弁才船」や「いさば船」、漁師が使う小さな「猪牙船」や「小荷足」に似た小型帆船などが活発に往来しており、神島や佐久島へと渡った崋山は、その活発な大小さまざまな船の往来に目を瞠(みは)ったものと思われる。風向きは、大小の帆船を利用する漁師や船乗りたちが最も注意を払うものであったはずで、崋山は漁師や船乗りから聞いたその風(向き)の名前を、しっかりとメモしているのです。 . . . 本文を読む