鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-伊良湖岬から神島まで-その3

2015-04-03 06:09:38 | Weblog
崋山が伊良湖明神参詣と神島渡海のために、伊良湖村の彦次郎家に立ち寄ったのは天保4年(1833年)4月16日(陰暦)の午後のこと。崋山が次のように記しているのが注目される。「をとつひきのふハおうむぞうといふ御山のまつりなりとて奕徒あまたあつまりてところをもふけ、公をもはゞからぬ事とぞ。さるをもてこの彦二郎が家もかれがためにかりとられ、余がいたりし時猶衾(ふすま)ひきかつぎねぼれ顔にてにげさりつ。」 「をとつひきのふ」とは、旧暦の4月14日と15日。2日間にわたって行われた「おうむぞうといふ御山のまつり」とは、伊良湖明神で行われている「御衣祭(おんぞまつり)」のこと。宮山の麓へ至る参道沿いには多数の露店が並び、近在近郷の老若男女がお祭りや参詣などを楽しみにやってきて、大変な賑わいの2日間だったのですが、その祭りが終わった直後に崋山たちはやってきたのです。このお祭りに集まってきた男たちを相手に開かれたのが博奕場(賭場)であり、その賭場として博徒によって借りとられていた家の一つが彦次郎家であり、ここで夜を徹して博奕(ばくち)が行われていたのです。まだ片付けも終わっていないところに、いきなり侍姿の旅人がやってきたものだから、衾(ふすま)などを担いで男たちがあわてて逃げ去ったというのです。私は伊勢原市の大山について調べていた時、あの頂上へ至る参道(登山道)の各所では、近在近郷の男たちによって、敷かれた筵(むしろ)の上で博奕が行われている日があったことを知りました。博奕は村人の間にも相当に行われ、それが男たちの楽しみや娯楽であることを知ったのですが、この渥美半島やその周辺(島々を含む)においても、伊良湖明神の「御衣祭」という盛大な行事に合わせて開かれた賭場で、各地から集まってきた男たち(誰もがやったわけではないけれども)が博打を楽しんでいたことが、崋山の記述からわかるのです。もちろん田原藩をはじめとして各地の領主は賭博を禁じていたのですが、博奕に手を出すものは相当に多かったのでしょう。 . . . 本文を読む