鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.10月取材旅行「延方~息栖神社~利根川大橋」 その最終回

2011-10-28 05:19:53 | Weblog
定期通航船や渡し船がほとんどといっていいほど無くなってしまった現在の利根川には、かつての河岸というものは存在せず、水害対策のための高い堤防の建設により、かつての河岸の名残を示すものもほとんど見受けられなくなっています。そればかりか、かつての物資や文化流入の窓口として各地域において重要な存在であった河岸の跡を示す「案内板」のようなものも、ごく一部を除いてほとんど設置されていません。まるで過去の歴史が意識的に抹殺されているような印象さえ抱いてしまいます。確かに戦後になって河川交通から陸上交通(鉄道や車)へと運送手段が大きく転換し、水害対策もあって、大きな河川は建設省や国土交通省が管理するようになり、河川は地域の人々の生活にとって、かつてのように身近で密接なものではなくなってしまったのですが、それにしても、その河川や河岸が果たしてきたきわめて重要な歴史的役割が、そこを訪れる人々にわかりやすい形で示される工夫がなされているかというと、大いに疑問を呈さざるをえない。その地域に住む人々にとっても、どんどん河川や河岸の歴史の記憶が失われているのが実情ではないか。文献(本や研究論文)や資料としては触れられていても、ごくごく日常的に、わかりやすい形では示されていないのです。江戸も東京も、そしてその周辺地域も、河川や河岸によって長らくその経済や文化、人々の生活が支えられてきたのだという歴史的事実、その「歴史の記憶」というものが、「治水」「防災」「干拓」というものを表看板にして、意識的に抹殺されてしまったのではないかと思われるほどです。そして、そのような事態は、おそらく利根川だけにとどまらない全国的なものだと思われます。 . . . 本文を読む