鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.西湖いやしの里根場~鍵掛峠~鬼ヶ岳 その6

2011-10-16 06:45:51 | Weblog
「旧広瀬家住宅」のかつての所有者であった広瀬保さんによれば、川の源流の方は「悪沢(わるさわ)」という名前が付いている通り、周囲の水を集めてしまい、明治40年(1907年)、同43年(1910年)、昭和34年(1959年)に台風による水害があり、周辺でも数十人が亡くなっているという。広瀬家のある上萩原は扇状地の上の斜面上にあり、畑はかつては桑畑(養蚕のため)やタバコ畑であり、現在は果樹園になっています。扇状地の斜面上にあるため、人家は石垣の上に造られた平地の上に建っています。根場と同様に、台風による水害を受けて多数の人々が亡くなっていることがわかります。明治40年(1907年)の水害というと、山本周五郎の故郷である北都留郡初狩村(現大月市)のことを思い出す。8月22日から26日にかけての記録的豪雨により、山梨県下各地で大水害が発生。初狩村もこの豪雨による山津波(土石流)で壊滅的打撃を受け、周五郎(清水三十六〔さとむ〕)の一家は大月駅前に住んでいたため難を逃れたものの、祖父伊三郎、祖母さく、叔父粂次郎、叔母せきの四人を失っています。広瀬保さんは「現在は沢の奥まで大きな堤防が入ったので、災害は起こらなくなった」と語っていますが、これは根場で見られたような「砂防堰堤」のことをさしているのでしょう。 . . . 本文を読む