鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.西湖いやしの里根場~鍵掛峠~鬼ヶ岳 その3

2011-10-12 05:59:39 | Weblog
「かぶと造り」(兜造り)とは、日本の民家の屋根形式の一つであり、茅葺き寄棟(よせむね)の屋根の妻の部分を切り下げて、開口部を設けたもの。開口部には障子を入れて、採光や換気ができるようになっています。屋根裏は階層化しており、屋根裏部分は一般的に養蚕に用いられました。山梨県東部を中心に見られる「かぶと造り」を、正式には「富士系合掌造り」とも言うらしい。坂本高雄さんの『山梨の草葺民家』によると、足和田村根場の茅葺き民家は、「本来は岩松をのせた合掌の棟」であったという。「岩松」とは「イワヒバ」のこと。「岩松」は、「日照りが続くと葉をまるめて、雨が降ると葉を開くために、屋根に緑を添えることや塊土の流土を防ぐ効果が加わる」といい、その「岩松」などをのせた棟を「芝棟」と総称するようです。「岩松」以外に、「イチハツ」「アヤメ」「ユリ」「ギボシ」などをのせ(植え)ました。坂本さんによると、「芝棟は棟の造りのうちで最も原始的であるけれど、ほかの屋根棟に比べると四季の変化に富んでいて、その色彩の変化がとても美しい」という。棟に「イチハツ」が植えられた茅葺き民家が、東海道や甲州街道の沿道やその周辺地域にかつてはどこでも見られたものであるらしいことは、かつてこのブログでも触れたことがありますが、幕末・明治に日本を訪れた外国人にとって、屋根上(棟)に緑があり、時期ともなればそこに美しい花が咲く日本の茅葺き民家は、大変に魅力的なものでした。根場の「かぶと造り」(棟は「芝棟」ではない)は、「かぶと造り」が一般的にそうであるように、江戸後期以降の養蚕の隆盛によって成立したものと思われます。田んぼはほとんどないから、薪炭の生産と養蚕が、長い間この集落に住む人々のなりわいの中心であったと思われます。 . . . 本文を読む