鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.10月取材旅行「延方~息栖神社~利根川大橋」 その3

2011-10-20 05:29:01 | Weblog
神宮橋が架かっている潮来市側(西詰)を「洲崎」と言いますが、それは、このあたりが「洲」の先であったことを示しているように思われます。前回歩いた前川は、途中でぐんと広くなったところでどん詰まりのようになり、水門によって今までの流れと隔てられ、私は干拓地の土手のようなものを右手に見ながら歩いて、水戸・鹿嶋方面へと延びるバイパスにぶつかったのですが、前川はもしかしたら、かつてはあのどんづまりのようなところで、「北浦」に続く「浪逆浦(なさかうら)」に合流していたのかも知れない。そこから東側一帯はもう「浪逆浦」の湖面であったのですが、そこは戦後になって干拓が大々的に進められて、その景観を大きく変貌させたのではなかったか。現在、地図を見ると「外浪逆浦」というのがありますが、かつてはその北側も広大な湖が広がっていたはずであり、「浪逆浦」は、「北浦」から「洲崎」を経て常陸利根川とつながっていく大きな湖の一部であったということになります。崋山一行の乗った「さっぱ船」は、前川からその「浪逆浦」へと出て、やがて常陸利根川を進み、利根川本流へと戻ったのです。 . . . 本文を読む