山梨の民家というと、私がまず思い出すのは川崎の「日本民家園」にある「旧広瀬家住宅」です。この民家は昭和44年(1969年)に、現在の山梨県甲州市塩山上萩原より移築されたもの。樋口一葉の両親が中萩原村の出身であることから、この「旧広瀬家住宅」がどういうところに立地しているのか、もとあった場所に訪れたことがあります。「日本民家園」に復元された「旧広瀬家住宅」は切り妻造りの平屋であって、初期の形式に復元されたものですが、移築前は茅葺き屋根の真ん中が「突き上げ二階」となっていました。これはやはり養蚕のための採光・通風の必要上から設けられたもので、養蚕の隆盛により後になって改築されたもの。「養蚕をするために屋根をあげ、2階3階を増築した」ものでした。この中萩原村あたりではかつて、冬場に、南アルプスから吹く空っ風があり、これを「シバマクリ」と呼んだといいますが、これは棟に植えられていた「岩芝」がめくれ上がるほどの強風であったということ。同じ山梨県の養蚕地帯であっても、民家の形式が富士山麓地帯とは異なっていたこと、しかし棟はかつては共通して「芝棟」であったことがわかります。東京都の山奥の檜原(ひのはら)村には「かぶと造り」の民家がわずかながら残っていますが、これは江戸時代後期に甲州から入ってきた形式であるという。檜原あたりも甲州の生活文化の影響が強かったということでしょうか。 . . . 本文を読む