鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.西湖いやしの里根場~鍵掛峠~鬼ヶ岳 その最終回

2011-10-17 05:36:19 | Weblog
『大橋富夫写真集 日本の民家 屋根の記憶』の、安藤邦廣さんの「民家の屋根に“くらしのかたち”を読み解く」という論文によると、「甲造」(かぶとづくり=兜造)は「静岡県北部から山梨県南西部の富士川流域を中心に、武蔵・相模の山間部から東北地方にわたる養蚕の盛んな地域に分布」しました。建物の屋根棟の棟端(むなば)側を削ぎ落としたものを「妻甲」、屋根棟と並行する側を削ぎ落としたものを「平甲」といい、「妻甲」で妻破風に二重開口を持つものを「二重妻甲(ふたえつまかぶと)」というようです。西湖の根場地区にかつてあり、そして現在、「いやしの里根場」として復元されている茅葺き民家は、その形状から言って「二重妻甲」という形式になる。妻側の「二重」の開口部は、養蚕のために必要な通風と、人が屋根裏で蚕(かいこ)の世話をするための採光の必要性から生まれたものであり、おそらく横浜開港による養蚕の隆盛に伴って、明治以降、「さらに生産量を増大させるために、屋根裏空間の拡大が図られた」ことによって、誕生したものであるようです。富士五湖周辺に多かった「二重甲造」は、「富士系二重甲造」(「富士系合掌造」)ともいい、この形式は奥多摩の檜原村でも見られるものですが、地元の方の話によれば、その檜原村でも数馬(かずま)と、そこから少し下がった人里(へんぼり)までの地域にしか見られなかったという。 . . . 本文を読む