鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.9月取材旅行「潮来~鹿島神宮」  その8

2011-10-05 05:12:41 | Weblog
前に紹介したことがある水戸藩お抱えの船頭誉田嘉之助(よだかのすけ)の嘉永6年(1853年)の日記から、水戸藩の年貢米が江戸小梅の水戸藩蔵屋敷にどういうルートで運ばれたかを再確認してみたい。それは以下のようなルートでした。北浦の串挽河岸(鉾田)→北浦→浪逆(なさか)浦→潮来→牛堀→横利根川→利根川本流→境→関宿→江戸川→中川→江戸湾→隅田川→小梅の水戸藩蔵屋敷。誉田嘉之助は、この年2月6日から8月8日までの間にこの航路を4往復もしています。現在の神宮橋の下を通過して(もちろん当時ここに橋などは架かっていない)、浪逆浦から常陸利根川(北利根川)へと入り、牛堀より左折して横利根川を通って利根川本流へと出たのです。浪逆浦から水路を通って前川へと入った可能性もあるが、このあたりの詳しいルートはよくわからない。しかしこの誉田嘉之助の日記から、水戸藩の年貢米が北浦・鰐川・常陸利根川などを利用して運ばれていたことがよくわかります。北浦北端の串引河岸から先は巴川による水運の利用であったでしょう。では、誉田嘉之助が船頭として、串挽河岸から江戸小梅まで乗っていた船は何であったのかというと、年貢米を運んでいることから、これは言うまでもなく利根川高瀬船であったはずです。 . . . 本文を読む