鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.10月取材旅行「延方~息栖神社~利根川大橋」 その8

2011-10-27 05:27:08 | Weblog
『四州真景図』第三巻の図四は「鹿島」で、図五が「砂山」、そして図六が「砂山 砂山吹上る図」。「鹿島」には、鹿島神宮へと続く鹿島丘陵が描かれていますが、その手前の川(鰐川)には大きな帆を上げた船が航行しています。これが「利根川高瀬船」。崋山は第二巻「河嵜明神」でも、利根川を航行する「利根川高瀬船」を正確に描いています。そして「鹿島」で中洲の手前を息栖・常陸利根川方面へと向かっているのが、「東国三社巡り」の遊覧客を乗せている「さっぱ船」。崋山一行は3人ですが、この船の乗客は4人(竿さす船頭が1人)だから、崋山は自分の「さっぱ船」から、同じ方向を進んでいく別の「さっぱ船」を見掛けて、鹿島丘陵の眺めとともに描いたものと思われる。「図六」の「砂山 砂吹上る図」には、右端の川面に帆柱を立てた船と帆柱を寝かせた船2隻が描かれていますが、これはどうも川岸からやや離れたところに碇泊しているようだ。砂が強風で砂山を吹き上がっている光景を描いたものですが、その強風のためにあえて船は帆を下ろして碇泊しているのでしょうか。この2隻の船も「利根川高瀬船」であるように思われます。かつて常陸利根川と利根川が合流する地点の左側には、このような大きな砂丘が広がっており、その向こう側にはすぐに太平洋の大海原が広がっていることを実感させたのです。 . . . 本文を読む