鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.10月取材旅行「延方~息栖神社~利根川大橋」 その1

2011-10-18 05:08:20 | Weblog
崋山は「四州真景」の旅において、鹿島神宮や息栖神社を本当に詣でたのか、という疑問はやはり消えません。崋山は「鹿島根本寺」について記述していますが、その記述の内容は、津宮(つのみや)で訪ねた久保木清淵(太郎右衛門)から聞いたことではなかったか。崋山は久保木清淵から、潮来に住む宮本尚一郎のことを聞き、延方の「講談所」のことを聞き、その「講談所」を開くにあたって功のあった郡奉行小宮山次郎右衛門(楓軒)のことを聞き、その小宮山が進めた勧農事業について聞くとともに、鹿島根本寺のことについても聞いた可能性がある。彼が鹿島根本寺に関心を持ったのは、そこを松尾芭蕉が訪れているからであり、そしてまたそこに雪村とか徽宗などの作と伝えられる寺宝があると聞いたから(久保木清淵より)であるようだ。しかし、潮来で宮本茶村(尚一郎)という自分と同年齢の興味深い男と出会った崋山は、その宮本からさまざまな情報を聞き出すことに集中し、潮来で思わず長居をしてしまったのではないか。文政8年(1825年)7月3日(旧暦)、やや遅く潮来を船で出立した崋山一行は、前川から浪逆浦(なさかうら)に出たものの、鹿島神宮や根本寺、また息栖神社に立ち寄ることは断念し、そのまま浪逆浦から常陸利根川を通過して、利根川本流に出て、利根川河口の銚子の街へと急いだのではないか。そういう想定を抱きながら、JR鹿島線の延方駅からJR成田線の下総橘駅までの間を歩いてみました。以下、その報告です。 . . . 本文を読む