鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.10月取材旅行「延方~息栖神社~利根川大橋」 その4

2011-10-21 05:45:49 | Weblog
「鰐川」右岸沿いに点在する「舟溜(ふなだまり)」は、何を意味するかといえば、かつて延方(のぶかた)村や潮来村を流れていた「前川」や水田を縦横に流れていた水路(これを「エンマ」という)に繋留されていた漁船(さっぱ舟など)が、干拓により「浪逆浦」と隔てられ、また干拓によって「エンマ」も埋め立てられてしまったため、「鰐川」の閘門(こうもん)近くに、かねてから「浪逆浦」で漁業を行っていた人々のために、漁船の繋留や安全管理のための施設として新たに造られたものということができるでしょう。しかし、私が見た限りでは、その「舟溜」が現在でも活発に漁船の船溜りとして利用されているといった雰囲気はなく、「鰐川」や「外浪逆浦」における漁業は衰退しているように思われました。「舟溜」でも賑わっていたのはレジャーボートやレジャー用釣り船の「舟溜」であり、それはかつての地元漁師が利用する「舟溜」とは、異なる雰囲気を持っていました。釣りをしている年輩の男性にお聞きしたところ、釣っている魚は鮒や鯉、ヘラブナであるといい、かつてはたくさん獲れたが、今はあまり獲れなくなったということでした。「鰐川」や「外浪逆浦」では、猛スピードで走っていくモーター付きのレジャーボートや釣り船(モーターエンジン付き)は目立ちましたが、川や湖と、地元の人々との生活的密着性はかなり薄まっているように思われました。しかしそのような状況は、「鰐川」や「外浪逆浦」だけでなく、私が今まで歩いてきた利根川水系全般において見られるところでした。 . . . 本文を読む