鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.9月取材旅行「潮来~鹿島神宮」  その6

2011-10-03 05:59:55 | Weblog
崋山はメモに「津宮より延方迄一里半許(ばかり)」と記す。「津宮」は河岸近くに久保木太郎右衛門(清淵)が居住しているところで、崋山はその屋敷を訪ねています。「延方」は、現在の潮来市延方であり、JR鹿島線の潮来駅の次が延方駅(鹿島神宮方向に向かって)。崋山が「延方」を意識したのは、そこに「延方学校」があったからに違いない。延方村に「延方学校」のもととなる塾が開かれたのは文化4年(1807年)のこと。当時の郡奉行は小宮山昌秀(楓軒)。小宮山は近隣の有力者と相談して孔子霊を祀る聖堂を建立。文化7年(1810年)には、藩費と地元民の資金により豪壮な大聖堂が再建され、「延方学校」の教育環境が整備されました。ここでは毎月2度の特別講義があり、水戸藩から特別に委嘱されて、津宮の儒学者である久保木清淵も講義を行い、また潮来の宮本茶村も講義を行ったという。したがって「延方学校」の存在を崋山に教えたのは、久保木清淵ではなかったかという推測が成り立ちます。そして同じく「延方学校」で講義を行い、よく知っている宮本茶村のことを崋山に紹介したのも、久保木ではなかったかという推測が十分に成り立ちます。久保木と宮本両人が講義を行った一般庶民のための「延方学校」。それへの注目が「津宮より延方迄一里半許」というメモになったのです。現在、その「延方学校」→「延方郷校」の跡地には県立潮来高校が建っているという。 . . . 本文を読む