鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.西湖いやしの里根場~鍵掛峠~鬼ヶ岳 その4

2011-10-13 05:25:13 | Weblog
眺望が開ける雪頭ヶ岳山頂南斜面の「お花畑」には、秋の草花があちこちに咲いていました。白いリュウノウギクやウメバチソウ、薄紫のマツムシソウ、そして青紫のヤマトリカブトなど。春夏秋冬、色とりどりのさまざまな花が咲くところであるようです。

 ここでも富士山は雲の中に姿を隠していましたが、しばらく下山道を進んで行くうちに、うす雲の間からその頂上部付近の姿を現しました。

 やがて樹林地帯に入って行くと、そこはブナの原生林でした。

 「←鬼ヶ岳 雪頭ヶ岳 ブナ原生林 根場民宿村→」という案内標示が現れたのが11:35。ブナの木はそれほどの大木ではなく、また密集しているというほどではありません。

 まもなくブナの原生林は姿を消し、あたり一面は杉が植林された地帯となりました。下山道の両側には切り倒された杉の細切れにされた丸太がたくさん並べられています。

 やがて沢へとぶつかりましたが、これは本沢川とは異なる沢であるようです。沢には大きな岩がびっしりと転がっており、上から豪雨の流れによって転がってきてたまったものと思われました。

 その土石流岩のために、下山道は一部覆い隠されており、少し道を迷って沢を下っていったところ、巨大な堰堤にぶつかり行く手を阻まれたので、少し戻って左手を上がっていったところ、ふたたび道が現れました。

 その道はすぐに右手に真新しいコンクリート製の柵がある整備されたものとなり、やがて右手の「東入川砂防堰堤」の看板から、先ほどの大きな堰堤が「砂防堰堤」(すなわち土石流を防ぐ堰堤)であり、その沢が「東入川」であるらしいことがわかりました。その看板によると、堤高は14.5m、堤長は99.0m、完成年月は平成17年12月であり、比較的最近に建設されたばかりの巨大な堰堤。

 階段を上がって沢沿いの下山道を進むと、やがて上流にその「東入川砂防堰堤」の全景が見えました。

 幅広になって下山道を進むと、もう一つ「砂防堰堤」が現れましたが、これは先ほどの堰堤よりもずっと古いもの。おそらく根場の土石流被害の後に設置されたもの。

 つまりまずこちらの堰堤が建設され、その後、ごく最近に上流にもう一つの堰堤が設けられたということになり、二重の砂防堰堤が施されていることになります。

 テントや車が点在する広々としたキャンプ場(西湖キャンプ場)を両側に見て、まもなく右折。「いやしの里根場」の入口に着いたのが12:50でした。

 「いやしの里根場」裏側の登山道に入ったのが8:20のことであったから、およそ4時間半の行程でした。


 続く


○参考文献
・『日本民家園収蔵品目録6 旧広瀬家住宅』(川崎市立日本民家園)


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