鍵掛峠までの登山道の途中(中腹あたり)から見掛けた、青紫色の房のようなものが重なって垂れている印象的な花がありましたが、これは、帰ってから調べてみると、「ヤマトリカブト」というものでした。
「トリカブト」というと、弓矢の先に塗りつける猛毒で知られますが、この「ヤマトリカブト」の根っこの塊り部分からその猛毒がとれるらしい。
この青紫の房が印象的な「ヤマトリカブト」を、これからもあちこちで目にすることになりました。
鍵掛峠から鬼ヶ岳の方へと進んでまもなく、視界が一気に開け、根場の「いやしの里」やその広い駐車場、本沢川、根場の民宿村、そしてその東側の西湖の湖面の一部、青木ヶ原樹海などが眼下に広がりました。反対側を見ると、甲府盆地の市街がはるか遠くに白く広がっています。
根場の「いやしの里」の真ん中を流れる本沢川は、右手下の山の間から西湖の「根場浜」の河口部分まで、ほぼまっすぐに延びています。
かつての根場の集落は、その本沢川が谷間から出たすぐのところ、小さな扇状地のようなところの上部にあったことが、ここからの眺望でよくわかります。
現在の根場の集落は、そこからやや離れた道路沿い、青木ヶ原樹海へとやや入ったところに立地しています。これは土石流による大きな被害を二度と受けないために、もとあった集落から離れたものと思われます(もとあった集落跡地には、「西湖いやしの里根場」が造られています)。
笹が繁る尾根道をアップダウンしながら進み、突き出た岩の上で第一回の長めの休憩をとったのが9:51。
西方には樹林越しに「王岳」と思われる山の頂き部分が見え、南方の眼下には手前の山によって隔てられた西湖の両端部分が見える。残念ながら樹海の向こうにそびえ立っているはずの富士山は、雲のためにまったく見えません。
休憩しながら前面に広がる雲を眺めていると、その切れ目から富士山の左側の斜めの稜線と頂上部の平らな稜線が見えてきました。
「ああ、こんなに富士山が広がっているんだ」
というのが、それを見てまず湧き起こった感動でした。
そこからふたたび歩き出して間もなく、切り立った岩壁があり、そこへと延びる坂道があったのでその岩壁の上へと登ってみました。ここからの眺望も雄大なものでした。
雲の切れ間から富士山の稜線の一部が見え、西から東へと移動する雲の流れとともに、見える稜線の範囲も刻々と変化していきます。雲の様子から、しばらく待てば富士山の頂上部が見えてくるはずだと思い、待つこと数分。下の雲と上のうす雲との間に、富士山の頂上部とその右側の稜線が姿を現しました(10:07)。その富士山の麓手前にある山は、「三湖台」のある足和田山であるでしょう。
まもなくわずかに見えていたその富士山は、西から流れてきたやや濃い灰色の雲に覆われましたが、今度は、その灰色の雲と、その下の白い雲との間に、その頂上部を見せ始めました。
一つの場所に居続けて眺めていると、富士山の眺望は刻々と変わっていくことがよくわかります。雲の流れや日光の当たり方によって、めまぐるしくその眺望を変えていくのです。大自然のダイナミックな動きというものを、富士山はそれを眺め見る者に強烈に感じさせてくれる。それが富士山の最大の魅力ではないか。
岩場の多い尾根道を進み、鬼ヶ岳山頂に到着したのは10:39でした。
途中何度か休憩していますが、「西湖いやしの里根場」からおよそ2時間のコースでした。
この鬼ヶ岳の頂上部は、大きな岩が露出しているやや広がりを持った平坦部であり、奥の鬼の角のように飛び出ている岩の方へと進んでみると、眼下に湖面の一部が鏡のように見えました。西湖の東端であるようです。
ここは眺望はそれほど開けませんが、風を避け、日だまりで休憩するところとしては最適です。
私が到着して休憩している間に、二人連れの中年ハイカーが雪頭ヶ岳の方から上がってきました。根場から歩いてきて、初めて出会ったハイカーでした。
5分ほどして鬼ヶ岳頂上部を、お花畑があり「眺望最高」とあった雪頭ヶ岳の方に向かって登山道を進みました。
岩場はあい変わらず多く、途中で10mほどの長さの白い鉄製の梯子を下りました。
そこから6分ほどで、「雪頭ヶ岳 山頂 眺望最高 お花畑」とある案内板のところに到着。その案内板には、「草花は、手で取らないで カメラで撮ってネ」という文言も。
その南側は草っぱらのような斜面になっており、よく見ると、確かに白や黄色や紫の小さな花々があちこちに咲き、またあの「ヤマトリカブト」もその青紫の房のような花をあちこちに見せていました。
そして眼下には、西湖がその西端から東端まで、そのほぼ湖面全体の姿を現していました。
続く
○参考文献
・『山梨の草葺民家』坂本高雄(山梨日日新聞)
「トリカブト」というと、弓矢の先に塗りつける猛毒で知られますが、この「ヤマトリカブト」の根っこの塊り部分からその猛毒がとれるらしい。
この青紫の房が印象的な「ヤマトリカブト」を、これからもあちこちで目にすることになりました。
鍵掛峠から鬼ヶ岳の方へと進んでまもなく、視界が一気に開け、根場の「いやしの里」やその広い駐車場、本沢川、根場の民宿村、そしてその東側の西湖の湖面の一部、青木ヶ原樹海などが眼下に広がりました。反対側を見ると、甲府盆地の市街がはるか遠くに白く広がっています。
根場の「いやしの里」の真ん中を流れる本沢川は、右手下の山の間から西湖の「根場浜」の河口部分まで、ほぼまっすぐに延びています。
かつての根場の集落は、その本沢川が谷間から出たすぐのところ、小さな扇状地のようなところの上部にあったことが、ここからの眺望でよくわかります。
現在の根場の集落は、そこからやや離れた道路沿い、青木ヶ原樹海へとやや入ったところに立地しています。これは土石流による大きな被害を二度と受けないために、もとあった集落から離れたものと思われます(もとあった集落跡地には、「西湖いやしの里根場」が造られています)。
笹が繁る尾根道をアップダウンしながら進み、突き出た岩の上で第一回の長めの休憩をとったのが9:51。
西方には樹林越しに「王岳」と思われる山の頂き部分が見え、南方の眼下には手前の山によって隔てられた西湖の両端部分が見える。残念ながら樹海の向こうにそびえ立っているはずの富士山は、雲のためにまったく見えません。
休憩しながら前面に広がる雲を眺めていると、その切れ目から富士山の左側の斜めの稜線と頂上部の平らな稜線が見えてきました。
「ああ、こんなに富士山が広がっているんだ」
というのが、それを見てまず湧き起こった感動でした。
そこからふたたび歩き出して間もなく、切り立った岩壁があり、そこへと延びる坂道があったのでその岩壁の上へと登ってみました。ここからの眺望も雄大なものでした。
雲の切れ間から富士山の稜線の一部が見え、西から東へと移動する雲の流れとともに、見える稜線の範囲も刻々と変化していきます。雲の様子から、しばらく待てば富士山の頂上部が見えてくるはずだと思い、待つこと数分。下の雲と上のうす雲との間に、富士山の頂上部とその右側の稜線が姿を現しました(10:07)。その富士山の麓手前にある山は、「三湖台」のある足和田山であるでしょう。
まもなくわずかに見えていたその富士山は、西から流れてきたやや濃い灰色の雲に覆われましたが、今度は、その灰色の雲と、その下の白い雲との間に、その頂上部を見せ始めました。
一つの場所に居続けて眺めていると、富士山の眺望は刻々と変わっていくことがよくわかります。雲の流れや日光の当たり方によって、めまぐるしくその眺望を変えていくのです。大自然のダイナミックな動きというものを、富士山はそれを眺め見る者に強烈に感じさせてくれる。それが富士山の最大の魅力ではないか。
岩場の多い尾根道を進み、鬼ヶ岳山頂に到着したのは10:39でした。
途中何度か休憩していますが、「西湖いやしの里根場」からおよそ2時間のコースでした。
この鬼ヶ岳の頂上部は、大きな岩が露出しているやや広がりを持った平坦部であり、奥の鬼の角のように飛び出ている岩の方へと進んでみると、眼下に湖面の一部が鏡のように見えました。西湖の東端であるようです。
ここは眺望はそれほど開けませんが、風を避け、日だまりで休憩するところとしては最適です。
私が到着して休憩している間に、二人連れの中年ハイカーが雪頭ヶ岳の方から上がってきました。根場から歩いてきて、初めて出会ったハイカーでした。
5分ほどして鬼ヶ岳頂上部を、お花畑があり「眺望最高」とあった雪頭ヶ岳の方に向かって登山道を進みました。
岩場はあい変わらず多く、途中で10mほどの長さの白い鉄製の梯子を下りました。
そこから6分ほどで、「雪頭ヶ岳 山頂 眺望最高 お花畑」とある案内板のところに到着。その案内板には、「草花は、手で取らないで カメラで撮ってネ」という文言も。
その南側は草っぱらのような斜面になっており、よく見ると、確かに白や黄色や紫の小さな花々があちこちに咲き、またあの「ヤマトリカブト」もその青紫の房のような花をあちこちに見せていました。
そして眼下には、西湖がその西端から東端まで、そのほぼ湖面全体の姿を現していました。
続く
○参考文献
・『山梨の草葺民家』坂本高雄(山梨日日新聞)
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