いつもいつも報道番組を見ながら思うことがあります・・・
犯罪や事件・事故に巻き込まれて、被害者となられた方の写真・年齢・住所(京都府京都市ぐらいかな?)がテレビの画面上で公開され、その後、家族関係、幼稚園(当時のおゆうぎの様子など)、小学校(運動会や学芸会とか)、中学校(卒業文集や将来の夢など)・・・、それから親族、親戚、同級生、友人が語る(被害者・故人像など)・・・・がドンドン報道されていきます。
翻って、加害者の方はといいますと、未成年ならもちろん最後まで一切の情報が出ませんし、成人していたとしても第一報ではかなりの部分のプライバシーが保護されています。
これについて僕は、強い憤りを感じずにはいられませんよ!!
別に「加害者の顔写真やプライバシーを公開せよ!」と言っているわけではありませんので誤解のないようにして下さい。
ただ、被害者の写真やプライバシーを何故公開しなくてはいけないんでしょうか? 痛ましい事故や犯罪に巻き込まれた、可哀相な子どもや女性の顔写真を出すことによって、「こんな人を!」・・・「こんなに可愛い子どもを!」、「なんてヒドイことをしたんだ!」という意識を報道を通して視聴者に植えつけることが目的なんでしょうか?
いろんな疑問や怒りがわいてきます。
こういう問題について侃々諤々議論されているサイトがたくさんありますが、その中で大変、読みやすくわかりやすくこの問題についてご意見を述べられているブログサイトがありましたのでご紹介します・・・
「
ぜろだまBLOG」さんんの、「
被害者写真は必要ですか」
に大変共感しましたので、一部引用します。ぜひともこちらのブログ記事を熟読してください。
>事故や災害での死亡事件の場合、どうしても同地に住む親戚や知人・
>あるいは所用でそこに赴いた人の安否が気にかかる。
>だから速報では死傷者の氏名や居住地を支障のない範囲で
>知らせてもらえればありがたいと思う。
>しかし単独の殺人事件(通り魔的なものはまた別だが)等に関しては、
>被害者遺族が望まないならば氏名の報道はなくてもよいと思う。
>「31歳女性(会社員:●●市)」程度の表現で誰が困るだろうか。
その通りです!
>引用元ブログでは「リアリティを抑止力に」というような描き方を
>しているが、私にはいかにも詭弁に感じられた。
その通りです!
>何か人が死ぬ事件、あるいは異常性のある犯罪が行われると、
>加害者・被害者両面について幼少時からの写真や作文・卒業アルバムや
>寄せ書き・ネットでの活動があればサイトやブログの文章を持ってきて、
>結婚式の新郎新婦生い立ちスライドさながらの「ミニドラマ」を
>添付しなければならないような風潮が強まってきている。
>最近はNHKのニュースですらこういうドラマ的報道に踏み込みつつある
>感が強く、疑問を抱いているところだ。
>しかしこれらの多くは、視聴者の野次馬根性・あるいはミニ評論家欲を
>刺激し・満足させるだけで、事件そのものをリアルにとらえる・
>あるいは抑止力を発生させることにはつながっていない、
>むしろドラマ性を強めることでかえってフィクショナルな感覚で
>受け止められることもあるのではないだろうかと思える。
>ましてそれを被害者側で展開させるのは、本当に遺族や本人を
>冒涜して食い物にしているだけのように見える。
まさにその通りです!!
>ニュースの受け手として、シンプルに「被害者の顔写真は必要かどうか」と
>考えると、私は「必要ない派」に属する。
>写真がなくて物足りなく思うことも、まして何かに困ることもない。
>特に掲示板などで、美人であれば「貴重な●●●が」と持ち上げられたり、
>不細工だったら叩かれたり揶揄されたり、昔の写真が現在より太ったり
>痩せたりしていればそのことまでもアレコレ面白おかしく言われたりと
>言うのを見る(そしてこれは匿名の場だから言語化されて出てくるものの、
>実際同じような下世話な会話が飲み屋やら井戸端では交わされている)と、
>「心底いらん」と思うほかないのだが。
これは、報道をする側の人たちのいう「報道の自由」、「表現の自由」という言葉で片付けられる問題ではないと思います。
全てのマスメディアに一斉に規制をかけて、「被害者のプライバシーについては、家族の了解なく出さない」という法律を作ってもらいたいものです。