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自然VS人間の凄まじい攻防『高熱隧道』by吉村昭

2019年08月24日 | 小説レビュー
~黒部第三発電所――昭和11年8月着工、昭和15年11月完工。
人間の侵入を拒み続けた嶮岨な峡谷の、岩盤最高温度165度という高熱地帯に、隧道(トンネル)を掘鑿する難工事であった。
犠牲者は300余名を数えた。
トンネル貫通への情熱にとり憑かれた男たちの執念と、予測もつかぬ大自然の猛威とが対決する異様な時空を、綿密な取材と調査で再現して、極限状況における人間の姿を描破した記録文学。(内容紹介より)


昭和11年~15年当時というのは、まさに太平洋戦争に突入する直前の頃の日本です。もちろん現代のような文明は発達しておらず、水力発電所を造るためのトンネルをほとんど手作業で何千メートルも掘り進めていった先人たちの偉大な苦労と尊い犠牲の記録小説です。

日本の地下を掘れば温泉が出るといわれているとおり、深く掘れば掘るほど、熱い地層に当たります。現場である黒部峡谷も、もちろんその例に当てはまる訳で、少しトンネルを掘り進めただけで、とんでもない熱気と湧き出る温水(次第に熱湯に変わる)によって、工事の進捗状況も悪くなる一方でありました。

そして11月にもなると、日本有数の豪雪地帯である立山連峰を望む黒部ダム周辺は、大雪が降り積もり、入山するものを拒みます。

戦争に向かっていく日本にとって、電力需要は高まるばかりであり、日本電力(現在の関西電力)は、国策として発電所建設に社運をかけて臨みます。

しかし、今のような掘削機械や運搬機械が発達していない昭和10年当時ですから、ほとんどの作業を人力に頼らざるを得ず、雪山での工事物資の運搬や、『高熱隧道』というタイトルどおりの、最高で岩盤温度摂氏165℃という、とんでもない環境下での難工事でした。

黒部峡谷の深部において工事を行うという行為は、麓の村人たちに言わせると、「狂人のすること」であったようです。

途中、甚大な被害が出て、一時は工事中断を余儀なくされますが、戦争に向かって『国家総動員』されていく時代ですので、黒部発電所の完成は、『国家事業』として再開されます。

主人公である工事課長の藤平は、「俺たちは、これで本当にいいのだろうか?」と、何回も自問自答しながらも、トンネル貫通というカタルシスを求めてしまうジレンマを抱えながら、とうとう最後にはやり遂げるのですが、そのトンネル完成に至るまでには、まさに艱難辛苦、筆舌し難い苦難の道のりでした。

先日読んだ、『八甲田山 死の彷徨』では、厳寒の中での雪中行軍によって、次々と斃れていく仲間の死を間近に見ながらの、人間の限界が試されましたが、この『高熱隧道』では、沸点より高い熱湯サウナのような場所での工事で、次々に仲間が犠牲になっていきますが、困難にぶち当たる度に、知恵を絞って、力を合わせて、その一つひとつを乗り越えようとする、凄まじい人間力を見ることが出来ました。

これほどの犠牲を伴う工事なんて、現代社会では絶対に不可能だと思います。

先人たちの偉大な犠牲と努力に、心から敬意を表したいと思います。

現在の黒部ダム周辺は、観光地として整備され、一般にも公開されているようですので、いつの日か現場を訪れてみたいと思います。

★★★3.5です。

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